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元興寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

がんごうじ/元興寺

奈良市中院町。真言律宗。飛鳥寺(別名法興寺)を、平城京に養老二年(七一八)に移したもの。奈良七大寺の一つ。主として三論宗を伝えたが、一〇世紀初頭に聖宝が学衆と共に東大寺東南院に移ったため、三論学問寺ではなくなった。奈良時代の元興寺三論学僧であった智光は、夢に見た阿弥陀浄土を曼陀羅に描かせて、信仰をあつめた。これは智光曼陀羅(国重要文化財)と呼ばれ、日本浄土教の最初期の姿を伝えるものとして注目される。平安時代以後の浄土教の流布とともに、元興寺智光曼陀羅を中心とする庶民信仰の寺となっていった。宝徳三年(一四五一)の奈良の土一揆により金堂と小塔院を焼き、智光曼陀羅を安置する極楽坊と禅室が中心となる。中世には、念仏聖の住む寺として庶民信仰がさらに盛んになり、慶長七年(一六〇二)には、徳川家康が一〇〇石の朱印地を与えて保護に努めた。昭和の大修理の折には、貴重な木造千体地蔵、コケラ経、納骨宝塔、版経などの重要民俗資料が発見されている。


【参照項目】➡智光智光曼陀羅


【執筆者:西村玲】