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聖覚

提供: 新纂浄土宗大辞典

せいかく/聖覚

仁安二年(一一六七)—嘉禎元年(一二三五)三月五日。安居院あぐい房、安居院法印ともいう。藤原通憲の孫、澄憲の子。比叡山恵心流檀那流相承し、京都安居院叡山竹林院を本坊とする京都の里坊)に住した。父澄憲と共に唱導師として著名であり、後鳥羽院・兼実・定家等と最勝講・仏事を通して交流を持つ。承久の乱で但馬に流された雅成親王は承久三年(一二二一)、聖覚念仏の用心について請い、親鸞聖覚教義を支持した。『明月記』文暦元年(一二三四)二月二一日条には聖覚を「濁世富楼那…今年六十九」と記し、嘉禎元年三月五日条には聖覚入滅を記す。諸伝記には元久二年(一二〇五)に法然瘧病おこりやまいを治すための唱導をしたことを伝えるが、元久元年(一二〇四)の『七箇条制誡』に聖覚の署名はなく、また『十六門記』の撰者を聖覚とすることには疑義が呈されている。著書として『唯信鈔』が著名。聖覚弟子信承は『法則集』を撰述して安居院流の事相面を伝える。


【資料】『明月記』二・三(国書刊行会)、「聖覚法印表白集」「御念仏之間用意聖覚返事」「或人夢」(『定本親鸞聖人全集』六)、「法印聖覚和尚の銘文」(『定本親鸞聖人全集』三)、『醍醐本』(法伝全七七六)、『四十八巻伝』一七(法伝全)、『明義進行集』「第七安居院法院聖賢」(大谷大学文学史研究会編、法蔵館、二〇〇一)、『古今著聞集』二・一三・一六(『日本文学大系』八四、岩波書店、一九六八)


【参考】大屋徳城『日本仏教史の研究』三(国書刊行会、一九八七)、藤枝昌道『聖覚法印の研究』(顕真学苑、一九三二)、松本彦次郎「聖覚を中心とした親鸞と法然」(『日本文化史論』河出書房、一九四二)、山口光円「新出〈草案集〉と安居院流学派」(『仏教文化研究』五、一九五五)、宮崎円遵「聖覚と源空・親鸞」(『金沢文庫研究』二〇—六、一九七四)、平雅行「嘉禄の法然と安居院の聖覚」(同『日本中世の社会と仏教』塙書房、一九九二)、小峯和明『中世法会文芸論』(笠間書院、二〇〇九)


【参照項目】➡安居院唯信鈔


【執筆者:米澤実江子】