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専称寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

せんしょうじ/専称寺

福島県いわき市山崎。梅福山報恩院。福島教区№一〇。名越派檀林。もと奥州総本山。応永二年(一三九五)良就十声開山如来寺成徳寺円通寺とともに名越派四箇本山の一つ。六世良大仰観の代に後土御門天皇の勅願所となり、また戦国時代には知恩院との関係が深くなった。江戸時代に七〇石の朱印をもらい、奥州総本山となり、伴頭・二老・衆頂・月行事等の役職が置かれて、山内ならびに末寺を統括した。さらに宗門子弟養成のための学寮も一〇軒あり、寮主と起居を共にして修学した。特に、四月一日から四五日間の夏安居げあんご、一〇月一日から四五日間の冬安居は重視された。末寺は、地域により近末・遠末と区別されていたが、合わせて二〇五箇寺に及んだ。しかし、明治時代以降は白旗派に統合され、浄土宗に統一された。


【資料】『専称寺文書』、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、𠮷水成正編『浄土宗名越派史料集』(青史出版、二〇〇三)


【参考】佐藤孝徳編『専称寺史』(私家版、一九九五)、玉山成元「浄土宗名越派の確立について」(『藤原弘道先生古稀記念史学仏教学論集』、一九七三)、宇高良哲「浄土宗名越派檀林の僧侶養成」(『水谷幸正先生古稀記念論文集仏教教化研究』、一九九八)、𠮷水成正「浄土宗名越派の入寺帳について—特に寮主の動向を中心として—」(『三康文化研究所年報』三七、二〇〇六)


【執筆者:𠮷水成正】


香川県丸亀市本島町笠島。源光円照院。南海教区№二〇。円光大師御遺跡四十八所の札所。法然建永の法難で流罪の途中に逗留したと伝える遺跡。建永二年(一二〇七)三月二六日、法然むろとまりから讃岐国塩飽しあくの笠島の地頭高階保遠たかしなのやすとお入道西忍の館に着き手厚い接待を受けた。法然帰依した西忍は、館の前に法然の庵室を建て、自行化他念仏の外に余念はなかった。その後、西忍の館は荒廃し、天正六年(一五七八)徳誉道泉が再興し中興開山となる。寛永一四年(一六三七)焼失したが、その後再興された。


【資料】『四十八巻伝』三五、『蓮門精舎旧詞』三六(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』


【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)、『配流八〇〇年追恩 讃岐の法然上人』(浄土宗南海教区教務所、二〇〇七)


【参照項目】➡西忍


【執筆者:山本博子】