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平基親

提供: 新纂浄土宗大辞典

たいらのもとちか/平基親

仁平元年(一一五一)—。桓武平氏の一流、参議親範ちかのりの子で、母は高階泰重たかしなのやすしげの女。法然帰依し、『選択集』の出版に際し序文を記した。保元三年(一一五八)蔵人に補任され、治承三年(一一七九)右少弁になった。同年一一月の平清盛の政変により解官したが、寿永二年(一一八三)に復任。文治五年(一一八九)左大弁となり、建久元年(一一九〇)兵部卿・従三位に任ぜられる。建永元年(一二〇六)五六歳で出家し、法然の教えを受けて毎日五万遍の念仏を称えていたが、一念義を立てた成覚房幸西に非難されたために、本願を信じる念仏について法然に手紙を出したところ、「近ごろ、本願を信じた上で称える一念以外の多数の念仏は無益であるとの教えがはびこっているが、そうした一念義仏法にかこつけた邪義である」旨の返事を受け取る。建暦元年(一二一一)一一月、『選択集』を開板する発起の意志を述べ、はるか後世に伝えるために序文を記した。著書に、『往生要集』の註釈書として『往生要集勘文』六巻と『往生要集外典鈔』一巻、また『新修往生伝』を主に素材とし『天台大師画讃』をモデルに作られた『善導和尚画讃』一巻、仁和寺守覚法親王のために撰述したと伝える令制官職制度の解説書の『官職秘抄』二巻などがある。


【資料】「遣兵部卿基親之返報」「基親取信信本願之様」(『漢語灯録』一〇)、『四十八巻伝』二九(聖典六)、『九巻伝』六下(法伝全)、『翼賛』二九、五四、六〇(浄全一六)、『公卿補任』一(『新訂増補国史大系』五八)


【参考】林彦明「選択集の序文に就て」(『専修学報』三、一九三六)、佐藤哲英『叡山浄土教の研究』(百華苑、一九七九)、木村昭玄「『善導和尚画讃』について」(『浄土宗学研究』一四、一九八二)


【参照項目】➡基親卿に遣わす御返事基親取信信本願之様基親の書信並びに法然上人の返信


【執筆者:山本博子】