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万無

提供: 新纂浄土宗大辞典

まんむ/万無

慶長一二年(一六〇七)—延宝九年(一六八一)六月二五日。直蓮社玄誉心阿。知恩院三八世。伊勢国津の滝川氏の出身、平判官康頼の後裔という。同国天然寺真誉のもとで剃髪、その後関東に下り、滝山大善寺に学び、幡随院阿誉随巌、太田大光院住誉無絃増上寺還無に師事して奥義を相承。万治二年(一六五九)岩槻浄国寺に入り、のち飯沼弘経寺、太田大光院、鎌倉光明寺を経て、延宝二年(一六七四)知恩院三八世となる。同八年三月には善導の千年忌を厳修、同年五月八日に徳川家綱が薨去こうきょするや五七日法要を営む。また大鐘楼の移転、三門前の山道の造営、境内の整備など知恩院発展につくした。同九年五月に弟子忍澂と共に鹿ししたに法然院を建立し、善気山万無法然院と名付け、開山となる。同年六月に病に罹り、七昼夜別時念仏を修したのち、二五日に寂す。


【資料】『知恩院旧記採要録』(仏全一一七)、『華頂誌要』(浄全一九)


【参考】井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:伊藤弘道】