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慶巌

提供: 新纂浄土宗大辞典

けいがん/慶巌

天文二三年(一五五四)—元和三年(一六一七)一月二一日。慶岩、慶嵓、渓巌とも書く。聖蓮社源誉。道号は守源。江戸崎大念寺開山。肥前国に塩田城主惟任修理亮藤原知光の三男として生まれたが、八歳のときに一族が討ち死にし、同国佐賀の正定寺に逃れ、のちに筑後善導寺の文龍のもとで出家。関東に下り、元亀三年(一五七二)春に川越蓮馨寺へ入山し存貞の座下につき、諸山を経巡り、天正八年(一五八〇)に増上寺入寺し、存応に師事した。同一八年、江戸崎説法勧化をしたときに城主芦名盛重の帰依を受け、大念寺を創建したが、慶長五年(一六〇〇)に類焼し、同七年に現在地に移り伽藍を再建。また天台宗天海と親しく、天海存応に紹介して徳川家康・秀忠へ推挙するように働きかけた。元和二年(一六一六)四月に家康が没したときは、増上寺において中陰法要を取り仕切った。世寿六四歳。


【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『江戸崎大念寺志』(浄全二〇)、『鎮流祖伝』五(浄全一七)、摂門『浄宗先徳奠香録』、『大念寺文書』(宇高良哲編著『関東浄土宗檀林古文書選』東洋文化出版、一九八二)


【参照項目】➡大念寺


【執筆者:原口弘之】