五念門
提供: 新纂浄土宗大辞典
ごねんもん/五念門
一
阿弥陀仏の浄土に往生するための行法で、礼拝門・讃歎門・作願門・観察門・回向門の五門より構成される。世親『往生論』が初出。同書には「云何んが観じ、云何んが信心を生ずる。もし善男子善女人、五念門を修して行成就すれば畢竟じて安楽国土に生じて彼の阿弥陀仏を見たてまつることを得。何等をか五念門となす。一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には回向門なり」(浄全一・一九三)とある。善男子・善女人が阿弥陀仏の浄土に往生し、かの阿弥陀仏を見たてまつるために、国土・仏・菩薩の三種を観察し、また信心を生ずる行法として、世親により創出された。五念門の各門は、阿弥陀仏の浄土に往生するために身業にかの仏を礼拝するのを礼拝門とし、如実に相応を修行するために口業にかの如来の名を称し、かの如来の光明智相のごとく、名義のごとく讃歎するのを讃歎門とし、如実に奢摩他(止)を修行するために、意業に一心に専らかの国に往生しようと作願するのを作願門とし、如実に毘婆舎那(観)を修行するために、智業にかの国の三種二九句の荘厳を観察するのを観察門とし、一切衆生の苦を抜かんがために、方便智業によって一切衆生とともにかの国に生ぜんと願ずるのを回向門とする。五念門の根幹は作願門・観察門であり、その中心は瑜伽行に由来する奢摩他・毘婆舎那である。また世親は、これら行法(行因)に対する果報(行果)として、近門・大会衆門・宅門・屋門(入四種門、自利行成就)・園林遊戯地門(第五回向、利益他行成就)の五門を併説している。この五念門に対し、曇鸞は『往生論註』において独自の解釈を行っている。讃歎門を口業による称名と解釈し、無礙光如来の名号を称えれば、衆生の無明を破して願いが満たされる名号自体のもつ働きを受けることができると指摘している。ただし称名すれども願いが満たされないのは、如来の実相身・為物身を知らないこと、および三不信に基づくものと示している。作願門においては奢摩他の止に三義を説き、往生を作願すれば如来と国土の名号によって一切の悪が止むとし、往生以後も出過三界の世界であるから自然に身・口・意の悪が止み、阿弥陀仏の正覚によって住持される世界であるから、自然に二乗を求める心が止むことを指摘している。観察門については浄土の三種荘厳を観じたならば、如実の功徳によりかの土に往生し得るとし、また往生人は阿弥陀仏を見仏することにより、十地の階位を経ずに不退転の境地に達することを説いている。また回向門については往相・還相の二種回向を説く点も特徴的である。
【参考】武内紹晃『浄土仏教の思想三 龍樹・世親』(講談社、一九九三)、色井秀譲『浄土念仏源流考』(百華苑、一九七八)
【執筆者:石川琢道】
二
引声阿弥陀経で唱える声明曲。「稽首天人所恭敬 阿弥陀仏両足尊 在彼微妙安楽国 無量仏子衆囲繞…以此礼讃仏功徳 荘厳法界諸有情 臨終悉願往西方 共観弥陀成仏道」。文亀二年(一五〇二)の『例時作法』(周興筆、正蔵七七・二六九~)に初出される偈文。天台宗では『声明例時』の「本節」と『例時作法』「切声」と「和讃節」の三種の旋律があり、「用否随時」の曲とされている。世親の『往生論』の礼拝・讃歎・作願・観察・回向の五念門にちなみ、阿弥陀仏を讃歎する四三偈文を配したものである。その中、現今の浄土宗では礼拝門(龍樹の十二礼・中夜礼讃)と回向門(最後の一偈)のみを呉音で唱えている。知恩院の法要では明治四三年(一九一〇)の阿弥陀堂慶讃会において「古式の常行三昧」として唱え、現在では一一月の兼実忌に『十夜会別式』として唱えている。その唱法には現行の曲(律曲壱越調)と和讃節の二種が伝承されている。なお、縁山声明曲としての五念門は『声明並特殊法要集』に掲載されているが、現在は唱えていない。
【資料】『浄土論』、『往生礼讃』、龍樹『十二礼』
【参考】宍戸栄雄採譜『浄土宗声明』、『知恩院史』
【執筆者:大澤亮我】