実相身・為物身
提供: 新纂浄土宗大辞典
じっそうしん・いもつしん/実相身・為物身
念仏者が知るべき阿弥陀仏身の二面性。曇鸞の説。『往生論註』下の讃歎門釈に、なぜ名号を称え憶念しても煩悩を除くことができず、また志願を満たすことができないかを問うなかで、この実相身と為物身を知らないこと(二不知)を理由として挙げている。曇鸞独自の説で、解説もされないため詳細は不明であるが、曇鸞は『論註』のなかで実相を無相としていることから実相身は智慧や法性と捉え、為物身は物、すなわち衆生の為の身であることからも慈悲や方便としての側面を意図していると考えられる。ただし、良忠は『往生論註記』四に「愚痴の行者、もし弥陀に威力有りと知れば即ち実相身を知る。もし大悲摂物を知れば為物身を知るなり」(浄全一・三一二上)とあるように阿弥陀仏の働き(化用)と捉え、「是れ方便法身にして果極法身に非ず」(同)と述べ、実相身・為物身ともに果極法身(法性法身)ではなく方便法身におさまるとする。
【資料】『論註』下、『論註記』四、『論註略鈔』下
【参照項目】➡二知三信
【執筆者:石川琢道】