修行
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅぎょう/修行
覚りを得ることを目的として、仏教に随い身口意に善を行うこと。行ともいう。一般的な仏教である聖道門においては戒定慧の三学を意味するが、法然は三学非器を実感して他の修行方法を模索し、浄土門と出会った。共に成仏を最終目的とするが、聖道門の修行が穢土において自力で登りつめていく難行であるのに対し、浄土門の専修念仏は阿弥陀仏の願力に乗じて極楽に往生していく易行である。法然は、まずは往生極楽を果たし、その後に仏道修行をすればよいと説く。「聖道門の修行は智慧を極めて生死を離れ、浄土門の修行は愚痴に還りて極楽に生まる」(『諸人伝説の詞』聖典四・四八一)という相違でもある。また行は必ず心と相応しなければならず、その二つを聖道門では「発心・修行」というが、善導・法然は「安心・起行」と名づける(『往生大要抄』聖典四・三〇四)。なお「一所にて申されずば、修行して申すべし」(『四十八巻伝』四五、聖典六・七〇四)というように、特に遊行や廻国巡礼を意味する場合もある。
【執筆者:齋藤蒙光】