巡礼
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅんれい/巡礼
一時的に居住地から離れて、宗教の発祥地、開祖・聖者のゆかりの地や廟所、奇跡・霊験を伝える所などの聖地に参拝し、再び居住地に戻る宗教的行為。巡礼の習俗は多くの宗教にみられるが、巡礼を類型化すれば、ある特定の聖地の参拝を最終目的とする往復型と複数の聖地を巡り参拝する回遊型に分けられる。往復型としては、キリスト教のエルサレム巡礼・サンティアゴ巡礼、イスラム教のメッカ巡礼などがあり、熊野詣・伊勢参宮・善光寺参りなど「参詣」と呼ぶものも含む。回遊型としては、四大仏跡巡礼、西国三十三所観音巡礼、四国八十八ヶ所遍路などがあり、この巡礼は巡拝対象となる聖地群が何らかの共通の要素で統合されている。これらの中には聖地群が特定の聖なる数で構成されたものや、さらに聖地に番号を付け巡拝順序が一応想定されたものもある。ただ、六十六部日本廻国のように巡拝対象とする聖地が固定しない巡礼もある。また、巡拝対象を指標に、寺院の仏・菩薩を巡拝する本尊巡礼、宗祖や名僧にゆかりのある寺院を巡拝する聖跡巡礼(祖師巡礼)に分類できる。さらに、巡礼者の信仰圏を指標に、全国から巡礼者を集める全国的巡礼と巡礼者が地域的に限定された地域的巡礼にも分けられる。地域的巡礼にはオリジナルな巡礼地(本霊場)を模倣して聖地数をうつし土砂の勧請などを行って、巡礼地の縮小化・巡礼の簡易化を図った「うつし霊場」が含まれる。
江戸時代になると様々な巡礼が展開し、その中には浄土宗門人が発願した巡礼や浄土宗寺院が札所として関与する巡礼もみられる。聖地巡礼としては、宝暦一二年(一七六二)、霊沢らによって円光大師御遺跡二十五箇所の巡拝が始められた。そこで番外となった遺跡寺院などを加えて巡礼地を拡大した円光大師御遺跡四十八所が文化九年(一八一二)に名村愚仙によって発願され、さらに昭和一六年(一九四一)中川大仙が元祖大師四十八霊場を発願した。とくに円光大師御遺跡二十五箇所の場合、「うつし霊場」が江戸時代から現代まで各地に設けられている。また、昭和一一年(一九三六)には聖光の一二ヶ所の遺跡を巡る鎮西上人御旧跡巡拝も発願された。宗祖以外の巡礼として、明和二年(一七六五)には関東十八檀林の巡拝も始められた。
本尊巡礼としては、阿弥陀仏の本願数を札所数とする四十八願所が京都や大坂などに成立し、さらに巡礼地が諸国にわたる善光寺四十八願所や西方四十八願所も生まれ、また、武州六阿弥陀をモデルとした江戸の山の手・西方、洛陽などの六阿弥陀詣も行われた。その他、京都・大坂・江戸などの観音巡礼や地蔵巡礼の札所には多くの浄土宗寺院の関与がみられる。
【資料】名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』、摂門『檀林巡路記』、青柳英珊『鎮西上人御旧跡巡拝—筑紫路の旅—』(知恩院、一九三六)
【参考】前田卓『巡礼の社会学』(ミネルヴァ書房、一九七一)、新城常三『新稿社寺参詣の社会経済史的研究』(塙書房、一九八二)、真野俊和編『講座日本の巡礼』一~三(雄山閣、一九九六)、星野英紀『四国遍路の宗教学的研究—その構造と近現代の展開—』(法蔵館、二〇〇一)、四国遍路と世界の巡礼研究会編『四国遍路と世界の巡礼』(同、二〇〇七)
【参照項目】➡四大聖地、法然上人二十五霊場、四十八願所巡り、六阿弥陀、円光大師御遺跡廿五箇所案内記
【執筆者:山本博子】