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遊行

提供: 新纂浄土宗大辞典

ゆぎょう/遊行

修行者が諸国を巡り歩き、仏道修行を行うこと。少欲知足を旨とし、托鉢による施物を糧として解脱を目指すことにその目的がある。過去七仏の第一、毘婆尸びばし仏の成道前の修行遍歴を描いた『阿含じょうあごん経』一所収の『大本経だいほんぎょう』に、「時に太子、即便すなわち納受し、之とともに遊行して在在教化し、村より村に至り、国より国に至り、至る所の処として恭敬して四事供養せられざる無し」(正蔵一・七上~中)とあり、原始仏教の頃から遊行が重視されていたことは明らかである。日本においても遊行は古くから行われ、奈良時代の行基や平安時代の空也、さらにはひじりと称される者達の活動を挙げることができるが、一般的に「遊行」といえば鎌倉中期に現れた一遍、およびその流れを汲む時衆聖の諸国行脚を指すことが多い。一遍空也教信法然の活動に影響を受け、門弟を「時衆」として引き連れ、全国各地で賦算踊り念仏を中心とした、平易で実践的な民衆教化に努めた。一遍の没後、教団教主は明治初年まで遊行を事とした。


【参考】金井清光『一遍と時衆教団』(角川書店、一九七五)、大橋俊雄『一遍』(『人物叢書』吉川弘文館、一九八三)、今井雅晴編『遊行の捨聖 一遍』(『日本の名僧』同、二〇〇四)


【参照項目】➡一遍


【執筆者:冨樫進】