無明
提供: 新纂浄土宗大辞典
むみょう/無明
原語「アビドヤー」(Ⓢavidyā)は「明」のないこと、つまり根本的無知をいう。「モーハ」(Ⓢmoha)と示されることもあり、これには「愚痴」「莫迦」の訳語がある。貪、瞋とともに三毒、三不善根といい、最も断ちにくい煩悩の一つとされる。『俱舎論』では、主要な煩悩を六随眠(貪、瞋、慢、疑、見、無明)とし、それに数え上げる。修行道の上では見道、修道の両所断にわたり、無明を断ち切って初めて最終段階の無学道に到達するという。十二縁起説でも具体的に生老死といった苦をたどると、その根源に「無明」があるとする。浄土宗では『選択集』一一に、「彼の無明淵源の病は、中道府蔵の薬に非ざれば、すなわち治すること能わざるがごとし。…この念仏は霊薬府蔵なり」(聖典三・一六一~二/昭法全三三七)とあるように、無明を対治する良薬は念仏という立場をとる。
【参照項目】➡根本無明
【執筆者:西村実則】