血脈
提供: 新纂浄土宗大辞典
けちみゃく/血脈
教法が師より弟子に途絶えることなく受け継がれていくこと。身体の血管が途切れることなく連なっているさまに譬えていったもの。つまり師から弟子への相承を記した系図(血脈図)を略して血脈という。法門の伝授には書伝・口伝・心伝の三つがあるが、いずれも釈尊または開祖の精神を歴代祖師の相承のままに伝え、その印可のしるしとして名を記して与える。この形式に子弟の間を朱縄・黒縄で示すもの、または並斜記(無縄)のものがある。この起源はあきらかでないが、中国において八世紀(中唐)頃にはすでに行われ、日本においては天台・真言両宗が特に師資の面授口決を重んじたため、秘密事相の発展とともに東密では野沢十二流、台密では十三流の流派が生じ、それぞれ独自の相承血脈を作った。法然は『選択集』一において「聖道家の血脈のごとく浄土宗にもまた血脈あり」(聖典三・一〇三/昭法全三一三)といって、『安楽集』と唐・宋両伝による相承血脈を示しているが、法然自身の見解がないために、「師説の稟承なし」といって叡山・南都および後世の禅宗の徒より非難されるにいたった。そこで、法然の夢定中における半金色善導との対面という啓示によって善導・法然の師資相承説が立てられた。聖冏は『顕浄土伝戒論』において「およそ浄土一宗に於いて二つの血脈あり。いわゆる宗脈と戒脈これなり」(浄全一五・八九六上)といって宗・戒両脈を主張した。宗脈とは宗義の相伝に関するものであって法脈ともいい、戒脈とは戒法の相伝に関するものである。戒脈について、法然は天台宗円仁の嫡流の円頓戒伝持者であるから、円仁以降、慈念—慈忍—源信—禅仁—良忍—叡空—源空(法然)—弁長(聖光)—良忠—寂慧(良暁)—定慧—聖冏と伝授する戒脈を立てた。宗脈については『浄土真宗付法伝』において八祖相承(経巻相承)と、六祖相承(知識相承)を立てた。天親(世親)—菩提流支—曇鸞—道綽—善導—源空と相承するものを六祖相承、これにインドの馬鳴と龍樹を加えて八祖相承とし、法然以後は弁長—良忠—寂慧—蓮勝—了実—聖冏と伝授する法脈譜を立て、浄土宗の宗・戒両脈相承血脈譜を完成させた。それ以来、伝法にはこの宗・戒両脈が用いられ、近世になって教団制度の整備により両脈伝授が重視され、浄土宗寺院住職になるには必受のものとされた。また、伝法は関東十八檀林の特権であったから、各檀林では聖冏以後それぞれ独自の相承血脈譜をつくり伝授した。明治七年(一八七四)、京都四箇本山でも伝法が行われるようになり、各本山は歴代住職名を列記する伽藍譜と聖冏の法脈譜によってそれぞれ独自の相承血脈譜を立てた。現在総本山知恩院では第二一代慶竺までは法脈譜と伽藍譜とを併記している。すなわち、慶竺以降は伽藍譜により相承血脈譜を立てる。百万遍知恩寺では、源空—弁長—良忠—源智—信恵—道意—智心—如一—寂慧—蓮勝—了実—聖冏—聖聡—蓮乗—普寂—盛信…という伽藍譜と法脈譜とを混用したものを用い、そのほか清浄華院、金戒光明寺でも独自の血脈譜を立てている。また、五重宗脈の初重は善導より、二重の血脈は法然より、三重と四重は二祖の聖光より、第五重は釈尊より祖師名を列記し朱縄で結び伝灯師名、受者名を記し、五重を一括して伝える。戒脈は聖冏の定めた血脈譜により、法然以降は宗脈に準じて記載して授与している。現在、この両脈伝授は宗規により知恩院と増上寺を道場として加行が行われ、伝宗伝戒の儀式を執行して授与すると定められており、授与される血脈譜の上包みに蓮社号、誉号を記す。在家の結縁五重、結縁授戒の場合も同様に血脈を授与し、上包みに五重または戒牒と記し、下に戒名を記す。これを受けた者は真の浄土念仏者たることを証し、死亡の場合には血脈を棺に納め、戒名を贈り法名とする。
【資料】聖冏『顕浄土伝戒論』(浄全一五)、同『浄土真宗付法伝』(続浄一七)
【参照項目】➡伝宗伝戒道場
【執筆者:金子寛哉】