半金色
提供: 新纂浄土宗大辞典
はんこんじき/半金色
法然が夢の中で出会い、言葉を交わした善導の姿の下半身が金色に輝いていた様子を表す言葉。四三歳の法然が、善導の『観経疏』散善義の一心専念の文に依憑し、専修念仏による浄土往生を確信し、余行を捨て念仏に帰入した伝記記事に関して、醍醐本『一期物語』(昭法全四三七~八)や『四十八巻伝』七(聖典六・七八)には、法然に対面した善導の姿が半金色であったことを語っている。法然は『選択集』一六で、『観経疏』の論主善導を「弥陀の化身」(聖典三・一九〇)と言う。そのような善導であるゆえに、偏えに善導に依るという絶対的な依憑がある。つまり、常人(墨染め)の上半身は「人」を象徴し、金色の下半身は、「仏」を象徴するが、善導は人師でありながらも弥陀の化身であるという絶対性を付与されることになる。このような特徴が示す真意を、宗教は信仰の問題として孕んでいるということができるゆえに、宗教信仰の真実と特質として注目しなければならない。浄土宗の寺院内陣や檀信徒の仏壇には本尊阿弥陀如来を中心に、両脇に法然像と半金色の善導像を安置し、五重相伝会の伝法で用いられる二祖対面図の善導が半金色であるのも、そうした理由による。
【参考】坪井俊映「伝法における半金色善導像の形成」(佛大紀要三六、一九五八)、池見澄隆「善導・法然をめぐる人師信仰」(『増補改訂版 中世の精神世界』人文書院、一九九七)、名島潤慈『夢と浄土教』(風間書房、二〇〇九)
【執筆者:藤本淨彦】