安楽集
提供: 新纂浄土宗大辞典
あんらくしゅう/安楽集
二巻。唐・道綽撰。著述年代は不明であるが、迦才の『浄土論』の序に「近代、綽禅師あり。安楽集一巻を撰す」(浄全六・六二七上/正蔵四七・八三中)とあることから、迦才が『安楽集』を見ていたことは明らかである。『観経』を中心に安楽浄土への往生を勧めるもので、多くの経論が引用されている。仏教を聖道・浄土の二門にわけ、末法における凡夫にとっては、機と時に相いかなった浄土往生の教えが唯一の道であると明かし、現在の衆生は懺悔修福して仏の名号を称すべきであると主張している。浄土往生を勧めるにあたっては、つねに諸経論を用いて証明し、浄土往生に対する異見邪執の釈明に努めている。教義的には曇鸞の著作に負うところが多い。全体は一二大門(章)から構成され、上巻は第一大門から第三大門まで、下巻は第四大門から第一二大門までとなっている。各門の要旨は次のとおり。 第一大門 浄土往生は末法時の仏教。①浄土の教えがおこる理由②説者と聴者の心がまえ③衆生の発心の久しい近い、供養の多少④諸経の宗旨の違い⑤諸経の名称のいわれ⑥諸経の説人のちがい⑦真・応の二身と真・応の二土⑧阿弥陀仏の浄土は上下を兼ね、凡夫も聖人も往生できる⑨阿弥陀仏の浄土は三界の中にあるのか、それとも三界の外か。第二大門 浄土往生は真実への道。①発菩提心②往生に関する異説とあやまった見解③広く問答する。第三大門 浄土往生は易行道。①難行道と易行道②劫の量③輪廻きわまりないこと④浄土の信を勧め、往生を求めしむ。第四大門 念仏三昧を要門とする。①六大徳の浄土讃歎②念仏三昧③念仏の利益。第五大門 命終に往生を得る。①修道の達成の遅い早い②此彼の禅観の比較③此彼の浄穢の比較④浄土の信を勧め、往生を求めしむ。第六大門 十方往生との比較。①十方浄土と比較②義をもって推しはかる③経典の住と滅を区別する。第七大門 浄土は無漏の相。①此彼の取相②此彼の修道の軽重。第八大門 娑婆を捨てて浄土を願う。①諸経をもって証拠とする②弥陀・釈迦二尊の比較③往生の意義。第九大門 浄土は唯善・唯楽のところ。①此彼の苦楽善悪を相対する②此彼の寿命の長短。第一〇大門 西方回向を勧める。①『無量寿経』により証拠とする②回向の義を解釈する。第一一大門 往生の勧め。①善知識の教えにしたがう②死後受生の勝劣。第一二大門 正念による往生。①『十往生経』によって往生を勧める。
本書は『観経』の趣旨を「観仏三昧」と規定していながら、「念仏三昧」の功徳を明かすなど、意図するところを明確に把握しがたいところもあり、これは『観経』の講義録あるいは講義メモのようなものであったことによるとも考えられる。しかし、第三大門に聖道・浄土の二門を判別し、浄土門の優位性を確定したことは、法然が『選択集』に採用するところである。随所に示される「勧信求往」は、阿弥陀仏を信じて速やかに往生を求めるべきであるという、道綽の基本姿勢を示すものであろう。念仏三昧の不可思議な功徳を讃え、浄土の法門では凡夫の情をもって往生できるとする。また、阿弥陀仏の浄土は凡夫の有相善(往生を願う善い行い)でも往生ができるとするなど、現実の凡夫の救済という点に視線が注がれている。浄土と娑婆二土の優劣を鮮明にすることにより往生浄土を勧めるのも、厭うべき現実の姿を明確に示すことにより、往生の願いを喚起させることにあった。中国では迦才の『浄土論』の他、懐感『群疑論』、法照『五会法事讃』、飛錫『念仏三昧宝王論』、慧琳『一切経音義』などに『安楽集』に関する記述が見られるが、その後は伝承されなかったようである。日本には早くに伝わり、天平一四年(七四二)に書写されたことが、『正倉院文書』にある。また、円仁の『入唐新求聖教目録』に収められている。さらに源信『往生要集』、永観『往生拾因』『往生講式』、珍海『決定往生集』、伝良慶『安養抄』などに引用され、南都・北嶺浄土教者に注目された。法然は『選択集』一に聖道・浄土二門説を引き、浄土宗の教義上の規範としている。親鸞の『教行信証』にも多く引用されている。『安楽集』に関する注釈書は多くあり、浄土宗関係のものには、良忠(撰者未詳とする説あり)『安楽集論義』一巻(金沢文庫所蔵)、同『安楽集私記』二巻(浄全一所収)、良栄理本『安楽集私記見聞』二巻(浄全一所収)、性真『安楽集略抄』二巻、祐察『安楽集要解』二巻三冊、廓瑩『安楽集開関鈔』三巻三冊、撰者未詳『安楽集玄譚』一巻(続浄六所収)、円諦『安楽集纂釈』二巻(同)、湛栄『安楽集引拠』二巻、貞詮『安楽集再鈔』、不必『鼇頭科註安楽集』二巻、撰者未詳『安楽集聞書講録』三巻などがある。
【所収】浄全一、正蔵四七、続蔵六一
【参考】山本仏骨『道綽教学の研究』(永田文昌堂、一九五九)、藤堂恭俊・牧田諦亮編『曇鸞・道綽』(『浄土仏教の思想』四、講談社、一九九五)、藤堂恭俊「『略論安楽浄土義』と『安楽集』の末疏について 解説」(続浄六、一九七三)
【執筆者:佐藤健】