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運慶

提供: 新纂浄土宗大辞典

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うんけい/運慶

—貞応二年(一二二三)頃。平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した仏師定朝の流れをくむ大仏師康慶の嫡男として生まれ、南都を中心に造仏活動を展開した。初期の作品として、奈良・円成寺大日如来像(安元二年〔一一七六〕作、国宝)や北条時政が願主となって造立した静岡・願成就院阿弥陀像、毘沙門天、不動三尊像(文治二年〔一一八六〕作、国重要文化財)、和田義盛が願主となった神奈川・浄楽寺阿弥陀三尊像毘沙門天不動明王像(同五年作、国重要文化財)など鎌倉幕府に関係の深い造像が知られる。これらと並行して行われた東大寺復興造営事業では、南大門金剛力士像(建仁三年〔一二〇三〕作、国宝)、仏殿脇侍きょうじ虚空菩薩四天王像のうち持国天像、いずれも現存せず)などを造立した。さらに南都復興造営では興福寺、また京都・教王護国寺(東寺)、神護寺の大仏師職に就き古仏像の修復などを行った。その緊迫感があり、かつ写実的で精緻な作風は高野山不動堂八大童子像(制作年不詳、国宝)、愛知・滝山寺聖観音像、梵天像、帝釈天像(制作年不詳、国重要文化財)などを経て、藤原氏ゆかりの興福寺北円堂・弥勒如来像、無著像、世親像(承元二年〔一二〇八〕作、国宝)などにおいてその最盛期を迎える。運慶をはじめとするその一門は慶派と称され、その家系は近代まで名を残すところとなった。法然などによる鎌倉時代の宗教改革運動に呼応するかのように、新たな造形表現の可能性を切り開いたという点からも注目すべき彫刻家である。また京都・聖光寺浄土宗)は運慶の父康慶法然弟子聖光にその邸宅を譲り建立されたものと伝えられる(「聖光寺旧記」)。晩年再び鎌倉幕府関係の造仏を行ったことが知られ、近年確認された、神奈川・称名寺大威徳明王像(建保四年〔一二一六〕作、国重要文化財)はそうした一連の作品と考えられる。


【参照項目】➡快慶慶派


【執筆者:青木淳】