康慶
提供: 新纂浄土宗大辞典
こうけい/康慶
生没年不明。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した仏師。治承四年一二月二八日(一一八一年一月一五日)に起きた平家の東大寺焼き討ち後の南都復興の中心人物の一人。藤原様式の院派仏師の傍系頼助の流れを汲む。康助の子、康朝の弟子。子に運慶、弟子に快慶などがいる。後白河法皇の蓮華王院五重塔の造仏の功で、治承元年(一一七七)、法橋の僧位を得、次いで建久五年(一一九四)以前に、法眼の位を得ている。法然の「常に仰せられける御詞」には、「仏像を観ずとも運慶康慶がつくりたる仏ほどだにも、観じあらわすべからず」(『四十八巻伝』二一、聖典六・二八一)と当時の造仏師の代表として康慶の名を出している。代表作に、奈良興福寺南円堂の不空羂索観音像(国宝)、中金堂の四天王像(国重要文化財)、法相六祖像(国宝)などがある。
【資料】『玉葉』(国書刊行会、一九六九)
【参考】山本勉「康慶と運慶」(『週刊朝日百科』「日本の国宝五七 奈良興福寺三」朝日新聞社、一九九八)
【参照項目】➡慶派
【執筆者:伊藤弘道】