大日如来
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいにちにょらい/大日如来
真言密教、真言宗の教主。ⓈMahāvairocana-ThatāgataⓉrnam par snang mdzad chen po。Vairocanaには、もともと「まばゆく輝く」といった意があり、大日如来という名称は『大日経』の訳者、善無畏(六三七—七三五)と一行(六八三—七二七)による。摩訶毘盧遮那仏陀、摩訶毘盧遮那仏、遍照如来、大日尊とも呼ばれ、また常住三世浄妙法身法界体性智大毘盧遮那自受用仏と定義付けられもする。大日如来については、しばしば仏と法(ダルマ)の関係とともに語られる。すなわち仏教の開祖釈尊は永遠の理法である法(ダルマ)を悟って仏となったが、釈尊が悟る悟らずにかかわらず法は過去・現在・未来にわたって常に存在し、釈尊は法の具現者の一人にほかならず、何人もいつでも仏となる可能性があり、釈尊が仏となった背景には法そのものを身体とする法身が存在するのであって、大日如来には、そうした法身を土台とした理解がなされている。しかもその法身は理念的な存在ではなく、姿形を具えて永遠に真理を説くという。真言密教では法界、いわゆる森羅万象あるいは全宇宙は、六大(地・水・火・風・空という物質的要素と、識という本源的な精神的要素)を本体とすると考え、この六大が法身大日如来を象徴するという。すなわち大日如来は森羅万象・全宇宙に遍満し、森羅万象・全宇宙は大日如来の活動の顕現にほかならず、大日如来そのもののありよう(自性法身)と言えるのである。さらに大日如来には法を法として受け止めるありよう(自受用法身)と、また他にそれを受け取らせようとするありようがあり、阿閦・宝生・弥陀・不空成就の四仏、あるいは他の仏・菩薩として顕現するありよう(他受用法身)があるとされる。さらに変化法身、等流法身というありようがあり、いかなる他者にも対応した姿をとって顕現するという。こうした点において大日如来は、仏・菩薩をはじめ教化者すべてを包括する総体とも言え、その活動が金剛界・胎蔵界の曼荼羅に表現されるのである。なお真言密教においては弥陀の活動もまた大日の顕現とされるが、浄土宗における阿弥陀仏は「浄土三部経」を拠り所に理解せねばならない。
【資料】空海『真言付法伝』(『弘法大師空海全集』二、筑摩書房、一九八三)
【参考】宮坂宥勝・梅原猛『仏教の思想9 生命の海〈空海〉』(角川書店、一九六八)、勝又俊教『密教入門』(春秋社、一九九一)、頼富本宏『密教—悟りとほとけへの道』(講談社、一九八八)
【執筆者:袖山榮輝】