密教
提供: 新纂浄土宗大辞典
みっきょう/密教
仏教における教えの一つ。インドから中国・日本、あるいはチベット、モンゴルに至るまで一つの潮流をなす。また仏教のある分類法において、仏教を二分するうちの一つで顕教に対して言う。密教の「密」は「覆う」という原義を有するⓈguhyaに相応し、秘密の「密」と解していい。日本においては真言宗の東密と天台宗における台密がある。東密の「東」とは、京都における空海の拠点となった東寺を指す。密教の定義に関し、真言学の勝又俊教は五つの特性を挙げる。すなわち神秘性、象徴性、呪術性、事相(祭祀の理論)と教相(教えの理論)の両面性、攘災招福と即身成仏の二面性である。このうち密教の密たる所以として注目されるのは神秘性と象徴性であろう。真理そのものである法身仏は姿形のない理念的な存在であり、その悟りの内容は窺い知る由もなく秘蔵とされるが、密教においては唯一絶対の法身である大日如来がその境地を直接説法をもって開示する神秘的な世界があるとし、我々は三密加持の実践を通じて仏と我とが直接に不二一体となる境地に達するという。この際、身には手で印を結び、口に真言を唱え、曼荼羅や持物、種字などを糸口に心を凝らして仏を観想するが、印契、真言、曼荼羅等は仏の境地を象徴化したものであり、自身の身口意に仏の象徴を体現することにより仏との一体化が叶うとする。神秘なる悟りの境地が法身説法によって開示され、さらにその境地が個々において三密加持という象徴性を駆使した修法によって直観されるところに密教の密教たる所以があるだろう。勝又が指摘する密教の特性は、古代インドにおけるヴェーダをはじめブラーフマナ、ウパニシャッドの時代に、その淵源を求めることができ、インドの密教は一三世紀初頭まで存続するが、インド仏教内におけるいわゆる密教経典の成立は最後期と言えよう。密教の展開について中国・日本では、漢訳された諸密教経典を雑密と純密に分けて時代区分とし、『大日経』『金剛頂経』(七世紀後半に成立)以前の訳経を前者に、以降を後者に配する。またチベットにおいては第一期に作タントラ、第二期に行タントラ、第三期に瑜伽タントラ、第四期に無上瑜伽タントラを配する時代区分がある。
【参考】勝又俊教『密教入門』(春秋社、一九九一)
【参照項目】➡顕教
【執筆者:袖山榮輝】