印契
提供: 新纂浄土宗大辞典
いんげい/印契
手指の仕草で仏・菩薩などを象徴したもの。サンスクリット語「ムドラー」(Ⓢmudrā)の訳語。手指のそれぞれを伸ばしたり曲げたり握ったり、さらには組み合わせたりする仕草によって特殊な形態を出現させ、あるいはそこに手振りを加えるなど、いわば記号化することで諸仏・諸菩薩・諸尊それぞれの覚りの境地や誓願、功徳、所作・活動を象徴的に表現したもののこと。印、手印、印相などとも訳され、原語のままムドラーと用いられることもある。原語としてのムドラーは広く紋章、標章、記号、印章、記章、捺印、印璽、サイン、バッジ、パスなどといった意味を持ち、ある特定の事物や概念をデザイン化して体現したものであり、さらにはそのものの活動・効力を保証する機能を有するものを指示すると理解できる。とりわけ手指の組み合わせによるムドラーはさまざまな形状を型取ることが可能であり、金剛界・胎蔵界の曼荼羅に示されるように諸仏・諸菩薩・諸尊が大日如来の顕現であるという世界観を有する密教においては、諸仏等の特徴を体現させる手段の一つとして大いに発展した。手指を用いた仕草により何かを体現させようとする試みは時代や地域を問わない普遍的な発想と思われるが、いまだ未解明ながら仏教における印契との関連が指摘されるものにインド古典舞踊におけるハスタ(Ⓢhasta)がある。ハスタとはサンスクリット語で手を意味し、手指を用いた所作・仕草のことであるが、ハスタにはさまざまな形状があり、それぞれの所作・仕草によって抽象的な概念から種々の感情やもろもろの所作に至るまでのさまざまな事象をいわば記号化して象徴的に表現し、舞踊表現上、科白をも超えたはるかに奥深い感情を体現せしめるという。その点、ハスタはまさにムドラー、印契と言い換えられるが、仏教における印契はまずもっては釈尊の一生の事跡を示した八相図などの仏伝図に見出される。すなわち初転法輪における「転法輪印(説法印)」、降魔成道における「触地印(降魔印、破魔印)」、禅定の姿を示す「定印(禅定印、法界定印)」などである。ちなみに定印はいわゆる座禅の姿勢で臍の下に左の掌を上向きに置き、その上に右の掌を上向きに置いて左右の親指を突き合わせた形状。また触地印は定印の状態から右の掌を足の上に伏せ、さらに指先を下方に差し伸ばし、地面に触れる形状。転法輪印は親指と人差し指を突き合わせて輪を結んだ右の掌と、親指と中指で輪を結んだ左の掌を、右の掌を外向きに、左の掌を内向きにして胸の前に揚げた形状。この他にも肩の高さまで引き上げた左右いずれかの掌を外側に向けて指を伸ばす施無畏印、左右いずれかの手を下方に伸ばして掌を外に向け指を伸ばす与願印などがある。この施無畏印と与願印は薬師や弥勒、阿弥陀などの他の仏、あるいは諸菩薩にも通じたもので、触地印も弥勒仏などに見出される。阿弥陀仏の印契についていえば定印や転法輪印、来迎印などが見出され、定印としては、上述のものからさらに左右の人差し指を背中合わせにしてそれぞれ先端を親指に突き合わせる形状のもの(弥陀の定印)が広く知られている。なおこの印は真言宗系においては妙観察智印とも称される。また転法輪印としては親指と人差し指で輪を結んだ左右の掌を胸の前で外側に向けたものが知られている。またその掌の形を施無畏印・与願印の位置に当てはめたものが来迎印である。さらに阿弥陀仏には九品往生にしたがってそれぞれ印契が示される形式もあり、その場合、定印(各品上生)・転法輪印(各品中生)・来迎印(各品下生)を基本として親指と輪を結ぶ指(人差し指=上品、中指=中品、薬指=下品)の組み合わせによって九通りが示されるが、一概に述べることはできない。
印契は大乗仏教において複数の仏・菩薩が出現するに至るとそれに応じて多様化したが、印契の発達には真言密教が果たした役割が大きい。森羅万象は大日如来の顕現であり、かつ大日如来が諸仏・諸菩薩・諸尊として活動している姿そのものと捉える密教にあっては、行者が印契を結ぶことはその印契によって体現されているものとの一体化に資すると考え、いわゆる「三密加持」の一つとして即身成仏を実現させる要素に挙げられる。そういった印契のなかでも金剛界における大日如来の智拳印はよく知られている。なお密教におけるムドラー、すなわち印契の概念は諸尊の誓願など内面的なものを象徴する手指によって結ぶ印(三昧耶印)はもちろんのこと、諸尊の口業を象徴する真言(法印)、さらには諸尊の身体的活動を象徴する手指によって結んだ印(羯磨印)、さらには諸尊の身・口・意のはたらきを体現して自らが諸尊の象徴となっている行者そのもの(大印)にまで拡大されている。
【参考】宮坂宥勝他編『密教の文化』(『講座密教』四、春秋社、一九七七)、浜田隆『極楽への憧憬』(美術出版社、一九七五)、石上善應「日本における阿弥陀仏像の再整理」(『仏教文化研究』四七・四八、二〇〇四)
【執筆者:袖山榮輝】