誓願
提供: 新纂浄土宗大辞典
せいがん/誓願
一
菩薩が衆生救済などの誓いを立てたり、あるいは衆生が生天や極楽往生を願うこと。誓願にはこのように菩薩の誓願と衆生の誓願の二つの異なった型がある。菩薩の誓願は総願と別願とに分けられ、総願とは誰であれ菩薩となった者が共通して立てるべき誓願、すなわち四弘誓願がこれに当たる。別願とは法蔵菩薩の四十八願に代表されるように、各菩薩が自分の個性にあわせて立てるべき個別の誓願をいう。この型の誓願はそれを実現させるための実践(行)を伴う。これに対し衆生の誓願は、善業をなした後、その善業の果報を特定するために使われる。つまり、一旦なされた善業は何もしなくてもその行為者に何らかの果報をもたらすが、この型の誓願はその果報を特定する機能を持ち、善業を積んで「天に生まれたい」あるいは「極楽に往生したい」と誓願すれば、それは成就することになっている。このように、菩薩の誓願は誓願後の行が、また衆生の誓願は誓願前の善業が必要となる。
【執筆者:平岡聡】
二
食前の食作法の最後に用いる偈文。「為断一切悪 為修一切善 為度一切生 為回向仏道」。『四分律行事鈔』には「伝に云わく、凡そ食は三匙を過ぐるを得ざれ。一切の悪を断ぜんがための故に初の匙を進め、一切の善を修せんがための故に中の匙を進め、一切の衆生を度せんがための故に後の匙を進む。乃至、仏道に回向せんとて余の菜茹等を進む」(正蔵四〇・一二八下)とあり、食をいただくに当たり、三匙をもって一口とし、一切の悪を断ぜんが為に初の匙を進め、一切の善を修せんが為に中の匙を進め、一切の衆生を度せんが為に後の匙を進め、次に仏道回向の為に余の菜茹等に進むの意。『浄土苾蒭宝庫』(下・六オ)第八食作法中に載る。『諸回向宝鑑』(二・一六ウ)臨斎儀にも見られるが、最後の二句を「為度一切衆 回向大菩提」として掲載している。
【参照項目】➡食作法
【執筆者:中野孝昭】