観音信仰
提供: 新纂浄土宗大辞典
かんのんしんこう/観音信仰
観世音菩薩に対する信仰。中心となる経典は『法華経』普門品(『観音経』)であり、観音は身体を三十三身に変化させて一切衆生を救済すると説かれていることより、慈悲の菩薩として広く信仰されている。仏教の渡来とともに観音像が制作され飛鳥・白鳳時代には死者の追善供養との関係で信仰された。奈良時代になると現世祈禱の対象となり、国家や個人の平安を祈る密教色の強い信仰となった。『日本霊異記』『今昔物語集』には多くの観音利生の霊験譚が伝承されている。平安時代には浄土教の流行とともに来世的な信仰が加わり、六道の衆生を救済する六観音信仰が成立した。また院政期に聖の住所を結ぶ修験的な巡礼が始まると、奈良時代以来の長谷・壺坂などのほか多くの観音霊場が形成され、京都や畿内の観音霊像を安置する寺院への貴族や民衆の参詣・参籠・巡礼が流行した。こうして畿内周辺の代表的な観音霊場三十三所をめぐる巡礼(西国巡礼)が行われるようになる。園城寺僧覚忠は、那智を起点に三室戸寺で終わる三十三所巡礼を応保元年(一一六一)にとげている(『寺門高僧記』)。その後坂東・秩父などにも三十三所霊場ができ、一五世紀後半には一般庶民の巡礼もさかんとなる。観音の浄土として南方海上に補陀落浄土があり、観音浄土に船出する補陀落渡海の信仰が平安時代から中世にかけて熊野那智を中心に行われた。民俗的な水葬儀礼とのかかわりをもつ。近世には地蔵信仰とともに最も広く庶民の信仰を獲得した。六観音の一つで頭上に馬頭を戴く馬頭観音は、馬の守護神として信仰され、路傍に石仏が造立され、各地の馬頭観音堂では縁日に守札や絵馬が売られた。
【参考】速見侑『観音信仰』(塙書房、一九七〇)、同編『観音信仰』(雄山閣、一九八二)、根井浄『補陀落渡海史』(法蔵館、二〇〇一)
【執筆者:今堀太逸】