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補陀落信仰

提供: 新纂浄土宗大辞典

ふだらくしんこう/補陀落信仰

観音菩薩の住処である補陀落山(ⓈPotalakaの音写)に対する信仰。補陀落山はインド南海岸の伝説上の山とされるが、観音信仰によって補陀落に擬された場所は各地に存在する。チベットのポタラ宮殿や中国の普陀山、日本の日光山や那智山などはその例である。ことに那智山は補陀落山の東門とされ、平安前期から江戸中期にかけて観音浄土への往生を願って海へ入水する補陀落渡海が行われた。渡海者は柩船の構造をした渡海船に乗り、外から釘を打ち付けられて海へ送られた。これは海上他界観に基づく水葬と、熊野の修験道における捨身行が観音信仰に結びついたものである。『熊野年代記』によれば、那智海岸の補陀洛山寺では貞観一〇年(八六八)から享保七年(一七二二)までに二〇名の僧が渡海している。熊野信仰の伝播に伴い室戸岬や足摺岬、有明海沿岸などでも行われ、イエズス会士ビレラは堺からの渡海の目撃記録を残している。入水往生という性格上、渡海者の行方が語られることは稀であるが、なかには那智から琉球に漂着して現地で布教に尽力した日秀のような者もいた。


【参考】根井浄『補陀落渡海史』(法蔵館、二〇〇一)


【参照項目】➡観音信仰入水往生


【執筆者:春近敬】