入水往生
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅすいおうじょう/入水往生
現世を厭わしく感じ、すぐに浄土に往生したいという気持ちの高まりから、水中に身を投じて、極楽往生を遂げること。自ら進んでいのちを断つことを捨身往生といい、これには焼身・入水・断食・縊頸・自害などがある。平安後期の浄土教の隆盛に伴い、日本では往生するために焼身・入水を行う人々が現れた。それらは各種往生伝や文学作品にも見ることができ、鴨川、桂川、天王寺西海は入水の代表的な場所であった。法然伝の中にも、『十巻伝』『正源明義鈔』『法然上人秘伝遠流記』には、法然が神崎の地で教化した遊女が入水往生したことが書かれている。また『法然上人秘伝』下には、江口神崎の遊女であった徳来が、先立ったわが子と共に一仏浄土に迎えられることを願って、十遍の念仏を称え入水したことが記されている。
【参考】堀一郎『我が国民間信仰史の研究』二・宗教史編(創元社、一九五三)、石田瑞麿『往生の思想』(『サーラ叢書』一六、平楽寺書店、一九六八)、梅渓昇「法然遺跡寺院としての如来院の活動について—付、西明寺について—」(藤堂恭俊博士古稀記念『浄土宗典籍研究』研究篇、同朋舎、一九八八)
【参照項目】➡捨身往生
【執筆者:平間理俊】