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浄土三部経

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうどさんぶきょう/浄土三部経

法然が所依の経典として定めた『無量寿経』『観経』『阿弥陀経』の総称。浄土往生を説く経典が多く中国に伝えられたなかにおいて、『無量寿経』は一二回、『観経』は二回、『阿弥陀経』は三回翻訳されたと伝えられている。その中より康僧鎧訳の『無量寿経』二巻と畺良耶舎きょうりょうやしゃ訳の『観経』一巻、鳩摩羅什訳の『阿弥陀経』一巻の三部四巻の経を「浄土三部経」と名付け、正しく往生浄土をあかす経としたのは法然の『選択集』である。

法然の決定の依り処となったのは、善導観経疏散善義にあかす就行立信じゅぎょうりっしん釈である。ここでは、本願に対する深信を確固たるものにするために行ずる五種の正行を説くが、その初めに読誦正行すなわち、『観経』『阿弥陀経』『無量寿経』等の読誦をすすめている。これは本願に対する信心を確固不動のものにするために修する行であるが、法然はこれを浄土往生五種正行往生行)とし、世親往生論』・曇鸞往生論註』・善導往生礼讃』等が重視する五念門を無視している。このように五種正行の初めに出る読誦正行には明確に三経の名を列記していることから、「偏えに善導一師に依る」という立場で『無量寿経』等の三経を「浄土三部経」と名づけたのであろう。 『無量寿経』は元来、大乗菩薩道を実践した法蔵菩薩四十八願とその成就による阿弥陀仏の構える浄土荘厳の美をあかし、その浄土往生を願う上中下輩の三類の人が修する行を説いている。これに続いて現世が貪・瞋・痴の三煩悩および五悪によって汚れた世界であることをあかして浄土願生をすすめている。『観経』は王舎城における国王家族の家庭悲劇によって苦境に陥った王后の韋提希夫人が釈尊に救いを求め、苦悩のない安楽浄土を求めたのに対し、釈尊は一六種の観想行を説いて浄土は美しく安楽国土であって、すぐれた仏・菩薩がましまし、その浄土往生する行等についてそれぞれに観想行を説き、終わりに阿難名号付属したことをあかしている。『阿弥陀経』は西方十万億仏土を過ぎたかなたに極楽浄土の在ることをあかし、その浄土七宝で出来た美しい世界であり、教主は光明無量寿命無量阿弥陀仏であり、浄土往生した者はみな不退転位が得られるとして、浄土往生をすすめ往生行として名号の執持七日間の行を説き、命終には仏の来迎が得られるという。この名号の執持による往生に疑惑の生ずることをおそれて、東南西北下上の六方世界にまします諸仏が証明され、教えのごとく行ずる者は現世において諸仏護念来世往生の益が得られることを説きあかしている。

このように三部経は、通じて浄土の美と楽をあかし、その浄土往生するために修する諸種の行を説いているが、法然善導の意をうけて、「三経は共に念仏選択して以て宗致となす」(『阿弥陀経釈』昭法全一四五)といって三経の主意は通じて念仏往生にあるという。これが法然の三経観であり、一具経とし、さらに正往生教、有功往生教、具足往生教と呼んで(『無量寿経釈』六八)三経相互の間に差別をつけない。しかし、それぞれの経は独立した経典であるから特色として『無量寿経』は本願念仏、『観経』は念仏末法付属、『阿弥陀経』は念仏往生証明を説くことを主意とするという。さらに法然は三経に七選択ありといって『無量寿経』に選択本願選択留教・選択讃歎の三をあかし、『観経』では選択摂取・選択付属選択化讃の三を、『阿弥陀経』では選択証誠の一をあかしている。これは浄土往生の行に種々な行があるが、弥陀釈迦・諸仏は念仏の一法のみを選び取って本願を誓い、また六方諸仏証明したのであって、七選択弥陀釈迦・諸仏の大悲を具体的に示したものということができる。

さらに、三経相互の関係について説示次第といって、釈尊は初めに『無量寿経』を説き、次いで『観経』、続いて結経、勧信の経として無問自説の『阿弥陀経』を説いたという。その中で『観経』については、一経二会一経両宗が説かれ、観仏は王舎城宮と耆闍崛山ぎじゃくっせんの二会の説法を記すものであり、さらに観仏三昧念仏三昧の二宗を説く経とする。浄土宗義は三経について「総依三経別依一経」といって、三経の中で特に『観経』を重視する。これはいうまでもなく、善導の『観経疏散善義に説かれる五種正行の中の称名正行をもって「順彼仏願故」の行としていることが、法然浄土開宗の契機をなすものであり、この点より『観経』を重視するという。さらに『阿弥陀経』については三経の結経といい、仏に問を出す言葉のないところより無問自説の経という。さらに六方諸仏証誠について、念仏往生に誤りのないことを信ずる勧信の経ともいわれている。

なお『阿弥陀経』の読誦について、法然は毎日唐音・呉音訓読みで三巻を読んだといわれ、隆寛法然が『阿弥陀経』を四八巻読んだことを伝えている。しかし後には読誦をやめ、ただ念仏のみにしたといい、隆寛念仏三万遍を称えたという。


【参考】坪井俊映『浄土三部経概説』新訂版(法蔵館、一九九六)、藤田宏達『浄土三部経の研究』(岩波書店、二〇〇七)、浄土宗総合研究所編『現代語訳浄土三部経』(浄土宗、二〇一一)、同『The Three Pure Land Sūtras』(同、二〇一四)


【参照項目】➡無量寿経観無量寿経阿弥陀経


【執筆者:坪井俊映】