鳩摩羅什
提供: 新纂浄土宗大辞典
くまらじゅう/鳩摩羅什
三五〇年—後秦・弘始一一年(四〇九)頃。ⓈKumārajīvaの音写語で、童寿と意訳され、また羅什、什とも呼ばれる。クチャ国(亀玆・現在の新疆ウイグル自治区)の出身。父は鳩摩炎(あるいは鳩摩羅炎)、母はクチャ国王の妹・耆婆といわれる。中国の四大翻訳家の一人。いわゆる旧訳の代表的な訳経者。七歳で出家し、九歳で西北インドに留学、この頃アビダルマを学ぶ。この留学は三年間に及んだ。その後クチャ国に帰り、『般若経』を中心とした大乗仏教を学ぶ。クチャ国は建元一八年(三八二)に前秦に滅ぼされ、羅什は捕虜となり、姑臧(現在の甘粛地方)に幽閉される。その間、長安から僧肇が羅什のもとを訪れ、羅什より教えを受けた。弘始三年(四〇一)に至り、後秦の王・姚興に迎えられ長安に入る。これ以降の約一〇年間が羅什の翻訳事業の最盛期で、訳出した経論はおおよそ三五部二九四巻に上るといわれる。その中には『阿弥陀経』や『大智度論』『中論』などが含まれている。同一一年に羅什は亡くなり、その身は荼毘に付せられたが、舌のみは焼け残ったと伝えられる。羅什の訳文は流麗で訳語も優れており、それまでの翻訳とは一線を画すものであった。それゆえ羅什以前の翻訳を古訳、以降を旧訳と称する。羅什の質・量共に優れた翻訳、そしてその思想は、中国仏教、またその影響下にある朝鮮や日本の仏教に一つの方向性を示した。
【資料】『高僧伝』二(正蔵五〇)、『出三蔵記集』二(正蔵五五)
【参考】塚本善隆「仏教史上における肇論の意義」(『肇論研究』法蔵館、一九五五)、横超慧日・諏訪義純『羅什』(大蔵出版、一九九一)
【参照項目】➡旧訳・新訳
【執筆者:石田一裕】