「往生伝」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おうじょうでん/往生伝
浄土もしくは諸天に往生したと考えられた人々の伝記集。阿弥陀仏の西方極楽浄土への往生を記したものが大半であるが、弥勒菩薩の兜率天内院や帝釈天の忉利天に転生する話なども含まれる。往生人だけを集めて単独で編纂されたものをいうが、論著の一部に往生人の列伝がまとまって収載される場合も往生伝類として同列に扱うことが多い。中国では、『高僧伝』をはじめ、僧伝の編纂が相次いだが、その一部に往生人が収載されていた。まとまった形で記されるのは、唐・迦才『浄土論』に「往生人相貌章」として二〇人の伝が収載されるのが初出。その後、文諗・少康が『瑞応刪伝』を独立した一書として撰述した。宋には遵式『往生西方略伝』、戒珠『浄土往生伝』、非濁『随願往生集』、王古『新修往生伝』などがあり、元代以降にも多く編纂された。日本の往生伝の嚆矢は、永延元年(九八七)頃に成立した慶滋保胤『日本往生極楽記』。『浄土論』『瑞応刪伝』の影響を受け、かつ同時代の源信『往生要集』に刺激され、摂関期の浄土信仰の昂揚にともない成立した。院政期にはこれを範とし、かつ書き継ぐ目的で、大江匡房『続本朝往生伝』、三善為康『拾遺往生伝』『後拾遺往生伝』、蓮禅(藤原資基)『三外往生伝』、藤原宗友『本朝新修往生伝』が続いて撰述された。これら六往生伝は、日本浄土教思想史ばかりでなく、文化史あるいは説話文学史上、異彩を放つ存在として知られる。長久年間(一〇四〇—一〇四四)に成立した鎮源『本朝法華験記』を往生伝に含める考え方もあるが、三善為康『金剛般若経験記』(散逸)などの例もあり、所依の経論が異なる験記と、往生伝とは一線を画すべきである。『今昔物語集』一五は往生人伝の集成であるが、他の巻には『法華経』をはじめとする諸経の霊験にあずかった人々の伝記が収載されている。平安時代には、インドの往生人九名を世親が記し鳩摩羅什が訳したとする仮託書『天竺往生験記』が『拾遺往生伝』に参照され、袋中が『天竺往生験記端書』を撰述するなど、近世に至るまで一定の影響を与えた。また平安末期から鎌倉初期には、如寂『高野山往生伝』や昇蓮『三井往生伝』などが撰述され、浄土往生希求の機運が各宗派にも広がった。鎌倉時代になると、法然浄土教の影響を強く受けた行仙『念仏往生伝』、証真『今選往生伝』(散逸)などがあり、信瑞『明義進行集』、舜昌『四十八巻伝』などには往生人の列伝が収載される。ただし往生人の伝記は、後世になるほど以前の往生伝の拾遺を繰り返すため、往生についての記事がこじつけに近くなったり、到底往生人とは言えないような人物も無理に収載するなど、各話の主人公が無名化・小粒化していく傾向は避けられなくなる。江戸時代には浄土宗あるいは真宗において、再び往生伝の編纂が盛んになった。元禄元年(一六八八)の了智『緇白往生伝』以後、殊意『遂懐往生伝』、桂鳳『現証往生伝』、徳演『三河往生験記』など、明治に至るまで往生伝の刊行が続いた。
【参考】古典遺産の会編『往生伝の研究』(新読書社、一九六八)、伊藤真徹『平安浄土教信仰史の研究』(平楽寺書店、一九七四)、井上光貞・大曽根章介『往生伝 法華験記』(岩波書店、一九七四)、笠原一男『女人往生思想の系譜』(吉川弘文館、一九七五)、志村有弘『往生伝研究序説』(桜楓社、一九七六)、笠原一男『近世往生伝の世界』(教育社、一九七八)、同『近世往生伝集成』一~三(山川出版社、一九七八~八〇)、谷山俊英『中世往生伝の形成と法然浄土教団』(勉誠出版、二〇一二)
【執筆者:吉原浩人】