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「施餓鬼会」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:27時点における版

せがきえ/施餓鬼会

三悪道の一つである餓鬼道に堕ちて飢えに苦しむ衆生に、飲食おんじきを施して苦界から救い、修者はその功徳により長寿を得るとされる法会で、真宗系を除くほとんどの既成仏教教団で勤められている。浄土宗寺院の執行率は高く、葬儀式とともに、もっとも多く勤められている法要である。施餓鬼の典拠には諸説あるが、浄土宗施餓鬼会は『救抜焰口くばつえんく餓鬼陀羅尼経』等に説く、焰口餓鬼の故事によっている。同経によると、阿難が迦毘羅城(カピラヴァスツ)で瞑想修行をしていたところ、喉が針のように細く、口から炎を吐いた、恐ろしい形相の焰口餓鬼が現れ、すべての餓鬼に飲食を施して三宝供養しなければ、阿難の命は三日後に尽き、餓鬼道に堕ちるであろうと告げた。阿難釈尊餓鬼を救う法を請うと、釈尊は前世において、観世音菩薩世間自在威徳如来から授かった「無量威徳自在光明殊勝妙力陀羅尼変食へんじき陀羅尼)」等による施餓鬼の法を教示した。阿難が教えに従ってその法を修したところ、餓鬼は苦界から救われ、阿難自身もその功徳により長寿を得たという。飲食を施すことから施食会、水中と陸上の衆生に食を施すことから水陸会、冥界の餓鬼と陽界の婆羅門(バラモン)等をともに供養することから冥陽会などともいう。

浄土宗施餓鬼修法は『施諸餓鬼飲食及水法幷手印』によって行う。その中心は陀羅尼であるが、一般には「変食陀羅尼」等の飲食を供養する陀羅尼と「根本陀羅尼」のみを唱えることが多い。しかし正式には、まず「普集餓鬼陀羅尼」により餓鬼衆を集め、「開地獄咽喉いんこう陀羅尼」によって飲食が通るように喉を広げてから「変食陀羅尼」以下の陀羅尼を唱えて飲食を施すのである。五如来の法力により餓鬼が飽満を得た後は「三帰三竟」を授け、「発菩提心陀羅尼」「三昧さんまや陀羅尼」を呪して、餓鬼菩提心をおこし、無量福徳を得るように念じ、最後に「餓鬼回向文」を唱えて、一切の餓鬼衆が苦界を離れ、浄土に生まれることを願うのが浄土宗的な施餓鬼法である。

昭和一四年を初版とする、従来の『法要集』に定められた施餓鬼会は、外陣げじんに祭壇を設けて五如来を安置し、外縁げえんなどに餓鬼壇を設けて施餓鬼供養を修し、その功徳を先祖等の精霊回向する法要であり、施餓鬼追善回向にあたる正宗分は祭壇の五如来に向いて修し、前段の序分と後段の流通分のみを本尊向きに勤めるという完全な外陣法要であった。しかし平成二年版の新訂『法要集』以降は、年回などの追善法要として勤める施餓鬼会に変更されて、施餓鬼法のみを祭壇向きに修し、序分正宗分流通分本尊向きに勤めるという、いわば準外陣法要に改められ、回向の対象となる精霊位牌は、内陣位牌壇を設けて安置するように変更された(図参照)。しかし全国的に年中行事として行われている、いわゆる大施餓鬼会では、祭壇に五如来精霊位牌を安置して、正宗分までを祭壇に向かって勤めるという、従来どおりの施餓鬼会として勤めている地域もある。

この大施餓鬼会は、多く盂蘭盆の時期に行われることから盂蘭盆行事と混同され、『盆供施餓鬼問弁』に「盆供と施餓鬼の法は当今壊乱極まる(趣意)」「七月に入るや否や直ちに盆供を行い、施餓鬼と盆供とは全く同じ事と思い、混乱して修するのは非常に良くない。施餓鬼と盆供とは格別の物であり、混同してはいけない(趣意)」(序・一ウ)といい、『浄土苾蒭びっしゅ宝庫』に「七月十五日に施餓鬼法事を執行することは経文に本拠がない…碩徳が其の非を糾し、諄々と説いても一向に改まらない。慷慨に耐えない(趣意)」(下・四一二)というように、本来時期を選ばず僧侶が毎夕勤めるべき法である施餓鬼会が、先祖供養盂蘭盆に同化され、古来多くの地域で盆施餓鬼として勤められているのが現状である。


【資料】『救抜焰口餓鬼陀羅尼経』([1]、『施諸餓鬼飲食及水法幷手印』([2]、諦忍『盆供施餓鬼問弁』、金井秀道『浄土苾蒭宝庫』


【参照項目】➡添施餓鬼施餓鬼施餓鬼壇施餓鬼幡


【執筆者:熊井康雄】