呪願
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅがん/呪願
一
盂蘭盆の教えを口業讃歎する文。盂蘭盆会で表白の次に唱える。『釈氏要覧』(正蔵五四・二七六中)に呪願とは「念誦を回施」することとあり、施主のために願意を述べることをいう。浄土宗では特に盂蘭盆会の次第に出る文偈を指す。「稽首釈迦真教法 三乗賢聖目連尊 我今稟教報親恩 願軫慈悲聴讃歎」。宋・元照『蘭盆献供儀』(続蔵七四・一〇六九中)に出る。「釈迦の教え・仏道の修行者・目連尊者を尊敬し、礼拝します。今この教えを受け、親の恩に報い、慈悲の心を奮い起こして仏の功徳を讃えることを許したまえ」の意。『法要集』下(三二頁)に節付で載せる。句頭が「稽首釈迦」を唱え、以下同音で唱える。
【執筆者:巖谷勝正】
二
盂蘭盆会で呪願一に続いて唱える文。「我等各為報答所生父母罔極深恩具飯百味五果香油挺燭供養三宝十方自恣大徳衆僧願使現在父母寿命百年無病無一切苦悩之患乃至七世父母離餓鬼苦生人天中福楽無極徧周法界無量衆生承此熏修俱沾利楽」。元照が『蘭盆献供儀』(続蔵七四・一〇六九中)に『仏説盂蘭盆経』(正蔵一六・七七九下)に出る「現在父母」から「福楽無極」の文を引き、盂蘭盆会の目的を明らかにし、それを願った。ただし、『蘭盆献供儀』には「無病」の語はない。『縁山蘭盆献供行儀』(文久三年〔一八六三〕寄付の書付)は『法要集』下(三四頁)と同文。「私たちは父母の極まりのない恩に報いるよう、ご飯、さまざまなおかず、果物、香油、それにろうそくを供え、仏法僧と多くの夏安居に集まった修行者たちに施します。現在の父母の寿命が百年になり、病なく一切の苦しみや憂いがなく、過去七世の父母や餓鬼が苦しみを離れ諸仏の国に生まれ、福楽を得て極まりないことを、そして生きとし生けるものが同じようにこの功徳によって利楽を得られますように」と願う文。『盂蘭盆経』の主旨を説いたもの。『縁山蘭盆献供行儀』にはその法要の首者が唱えるとあるが、『法要集』では節付で「我等各為」を句読し、以下同音で唱える。
【執筆者:巖谷勝正】