念誦
提供: 新纂浄土宗大辞典
ねんじゅ/念誦
葬儀式で唱える声明。鎖龕・起龕・奠湯・奠茶・霊供の次、下炬の前に脇導師が棺前に進み、荘重な曲節で唱える。「吾薄伽梵 説言 一切諸世間 生者皆帰死 合会有別離 無有法常者 是日即有 新円寂 [法名] 霊位 生縁既尽 大命俄遷 今誦持 無量寿如来 尊号 薦精魂於 安養浄土 仰憑大衆 慇懃念誦 〈南無 西方 極楽世界 大慈大悲 阿弥陀仏〉(三唱) 上来称揚 大功徳 資助霊位 順次往生 唯願 生諸仏家 受用法楽 当坐道場 究竟三身」。『浄土宗法要儀式大観』の訓読の念誦は、「吾が薄伽梵、説ての言はく。一切の諸世間、生ある者は皆死に帰す。合会ものは別離あり。法の常なるもの有る事無しと。是の日即ち、新円寂[法名]霊位有り。生縁既に尽きて、大命俄に遷る。今無量寿如来の尊号を誦し、精魂を安養浄土に薦む。仰で大衆に憑て慇懃に念誦す。〈南無西方極楽世界 大慈大悲阿弥陀仏〉(三説) 上来称揚大善根は、霊位の順次往生を資助す。唯だ願くば諸仏の家に生れて法楽を受用し、当に道場に座して三身を究竟せんことを」(二、五四)とある。『声明 施餓鬼 諸真言 諸回向』(天和三年版)には、「無量寿如来」が「甘露王如来 尊号 持念自在王世尊心呪」とあり、総回向偈も含めて念誦としている。『諸回向宝鑑』一には、廬山慧遠が般舟三昧を修行したときにこの文を著して亡魂を弔ったと記している(一七オ)。念誦を唱える脇導師(念誦師)が漢音で独唱し、「阿弥陀仏」で大衆が同音をする。念誦を唱えるときは、念誦師は脇導師の座を立ち、導師に問訊し、龕前に進んで焼香し、三歩斜めに退き、斜めに向かって唱える。「大慈大悲」の同音が終わると共に、棺前に進み、「上来称揚」以下の文を唱える。本来念誦は脇導師の勤めるものであるが、維那が代誦することもある。音読・訓読のほかに、「是日即有」から「慇懃念誦」までを訓読し、その前後を音読する唱法などもある(『浄土宗法要儀式大観』一、一四四)。『新訂 引導 その他』(刊行年未詳)には、祭壇前に進み、焼香・意念し、念誦の巻物を香煙に薫じ、これを開いて頂戴し、祭壇の正面で朗唱するとある。念誦は漢音で唱えるが、法名はその限りではない。法名の位号が居士・大姉のときは、「霊位」を唱えずに、位号の終わり「士・姉」に所定の節を付ける。念誦の旋律は、「ユリ一」「ウケ」「ウケ・賓ユリ・折ル」「折ル」の四種類の組み合わせからなる。「諸世間」の「間」などで唱える「ウケ・賓ユリ・折ル」は、念誦の独特の旋律である。ただし、縁山声明の「賓ユリ」とは別の旋律である。
【執筆者:西城宗隆】