人間観
提供: 新纂浄土宗大辞典
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にんげんかん/人間観
人間についての問いから生じる人間の見方。人間の本性とは何か、人間の特色とは何か、など人間の根本問題を捉え、人間の真実のあり方を明らかにしていく観点から人間を把握することで、その見方・観点には様々な立場がある。西洋の哲学では、人間に固有な性質や機能への着目からhomo sapiens(理性的人間)、homo faber(工作的人間)等といった捉え方がなされ、また個的で具体的存在であることを強調する実存的人間や、知覚の束とする現象的人間などといった理解が見られるが、概して客観的・類別的に捉える傾向が指摘される。
仏教では、「さとり」を目的とする実践修行の当体としての人間という関心から大別して、本質的なあり方を見る観点と人間の現実のあり方を見る観点の二つの立場を指摘することができる。本質的なあり方を見る観点とは、「覚りを開く性能としての仏性」を人間の本質的あり方とする立場であり、初期仏教から大乗仏教を通して多く見られる。こうした中で、浄土教は特徴的に、人間の現実のあり方、すなわち、人間は仏性を持っていても仏性が隠蔽された現実存在(実存)として、凡夫であると見なす傾向が強い。
初期仏教では、インド文献一般とともに人間に対してマヌシャ(ⓈmanuṣyaⓅmanussa)の語が用いられた。これは、「考えるもの」という意味であり、西洋哲学のhomo sapiensに相当する。ただし『俱舎論』では、この語が輪廻する世界の一つとして用いられるように、特に仏教的意味を帯びたものではなく、古代インドで使用された語を経論が用いたに過ぎない。インド後期の仏教では、サットバ(ⓈsattvaⓅsatta)が用いられるようになる。これは、現存者・生存者の意を持つ語であり、また執着するものとも解され、中国では衆生(旧訳)・有情(新訳)と訳される。『相応部経典』に「有情、有情と言われるのは、何故、有情と言われるのか。色(受・想・行・識)において、欲あり、貪あり、喜あり、渇愛あり、執著し、染着せるが故に有情と言われる」(南伝相応部二三・二、南伝一四・二九九~三〇〇)とあり、また基の『成唯識論述記』一(正蔵四三・二三三下~四上)には、有情とは煩悩を持って執着するものであるとする説明が見られる。こうした理解は、単に「考えるもの」や「生存者」とする人間理解に対して、執着を離れた存在である仏陀を前提とし、それを志向するという意味においてより仏教的な人間把握であるといえる。すなわち、人間を「煩悩を持ち、執着するもの」として自覚的に捉えることを始点としつつ、修行実践を通して有情(sattva)から覚める(bodhi)、菩提薩埵(bodhisattva)というあり方が想起されるのである。この菩提薩埵の覚りは智慧と慈悲をともない、必然的に他者の覚りへと展開する。これが大乗仏教の菩薩思想における自覚覚他の理念である。
これらマヌシャやサットバにならび、仏教において注目されるべき人間の捉え方にⓈpṛthag-janaⓅputhujjanaがある。これはもともと、「独りひとり別々に生まれたもの」といった単数を意味する用語であるが、転化して、聖者とは反対の意味を持つ「下層階級の人・一般庶民」そして「愚かな人」といった意味に解されるようになった。このような、人間一般を指す語で人間の煩悩的存在が表現されるようになったのは、後代の仏教思想においてであり、インドから中国にいたるまでは第三者からの呼称として用いられていたようである。中国から日本にいたる大乗仏教、特に浄土教では、人間が煩悩的存在であるという点を凝視して、「無智者」や「愚痴凡夫」という表現をとり、自己の宗教的自覚をともなう主体的な内容を持つようになった。
中国浄土教に多大な影響を与えた曇鸞が、「われすでに凡夫にして智慧浅短なり」(浄全一・六九五上/正蔵四七・一四中)と告白していることが、道綽の『安楽集』によって伝えられる。道綽自身も、北周の廃仏という過酷な経験とそれにともなう末法意識の高まりによって時代への危機感を「当今は末法、現にこれ五濁悪世」(浄全一・六九三上/正蔵四七・一三下)と断言し、また人間においては「起悪造罪を論ぜば、何ぞ暴風駛雨に異ならん」(同)と、その止みがたい凡夫性を表現している。ここには、かつて『涅槃経』を講じ「一切衆生悉有仏性」を信じていたであろう道綽の切実な内省に導かれた人間観が見られる。
善導は、師である道綽の人間観を継承・展開し、その浄土教の基盤とした。善導の『観経疏』玄義分は「垢障覆うこと深ければ、浄体顕照するに由し無し」(聖典二・一六一/浄全二・一下)として、浄体、すなわち覚りを開く性能としての仏性を認めながらも、それが煩悩に深く覆われて現実化し得ないことを内省している。これが単に善導自身の問題ではなく、自身を含めたすべての人間に当てはまる洞察であることは、同じく玄義分で「我等愚痴の身」(聖典二・一六〇/浄全二・一上)と表現し、『観経』に説かれる九品をすべて凡夫である(九品皆凡)と解釈しているところに認めることができる(聖典二・一七六~七/浄全二・八上)。さらに散善義では、浄土教信仰者の心がまえである三心のうちの深心(深信)において「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁有ること無し」(聖典二・二八九/浄全二・五六上)と、自己の凡夫性を信仰の内容として規定する点に、善導の浄土教がその人間観の上に構築されていることが読みとれる。実際に善導の浄土教思想の一つの特徴でもある指方立相についても、定善義に「末代罪濁の凡夫の、相を立てて心を住するすら、なお、得ること能わじ。何にいわんや、相を離れて事を求めば、術通無き人の空に居して、舎を立てんがごとし」(聖典二・二六九/浄全二・四七下)と凡夫ということから論を展開するが、これはその証左といえるだろう。
日本で浄土教を確立し、浄土宗を開いた法然は、主著『選択集』に「偏に善導一師に依るなり」(聖典三・一八五/昭法全三四八)と表明しているように、その人間観も善導を継承している。法然自身の自覚内容としては、『諸人伝説の詞』に伝えられる「十悪の法然房」「愚痴の法然房」(聖典四・四八二/昭法全四五八)といった表現を見ることができるが、聖光の『徹選択集』は、法然が善導の教えに出会う契機として、仏道実践の規範である戒・定・慧の三学をなし得ない自身(三学非器)への悲嘆を伝えている(聖典三・二八四~五/浄全七・九五上~下)。この悲嘆を契機として、それを解決する教えとして善導と出会ったということが法然浄土教の性格を決定づけているといえるだろう。『念仏往生要義抄』では「口には経を読み身には仏を礼拝すれども心には思わじ事のみ思われて一時も止まる事なし。…善心は年年に随いて薄くなり、悪心は日日に随いていよいよ増る。されば古人のいえる事あり。〈煩悩は身に添える影、去らんとすれども去らず。菩提は水に浮かべる月、取らんとすれども取られず〉と」、と人間の煩悩的存在を認めつつも、「およそ阿弥陀仏の本願と申す事は様もなく、我が心を澄ませとにもあらず、不浄の身を浄めよとにもあらず、ただ寐ても寤めても一筋に御名を称うる人をば…仏の来迎に預からん事疑あるべからず」(聖典四・三二五~六/昭法全六八四~五)と、このような凡夫のためにこそ阿弥陀仏の本願が立てられたのであり、来迎があると述べている。また、信仰の在り方である三心についても善導を受けて、深心について『浄土宗略抄』などに「一つには決定して我が身はこれ煩悩を具足せる罪悪生死の凡夫なり、善根薄少にして、曠劫よりこのかた常に三界に流転して出離の縁なし、と深く信ずべし。…始めに我が身の程を信じて後には仏の誓を信ずるなり。後の信心のために始めの信をば挙ぐるなり」(聖典四・三五五~六/昭法全五九四)と、凡夫としての人間観をその信仰内容として積極的に位置づけている。これは、『一枚起請文』の「一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智の輩に同じくして、智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」(聖典四・二九九/昭法全四一六)の詞に最も端的に表されるところである。つまり、法然浄土教における人間観とは、単に煩悩を有する人間を自覚するのみでなく、凡夫であるということにおいて人間の現実存在を捉え、それを自ら引き受けていくという能動的側面があるといえる。
浄土教の人間観が、実存的な観点から人間を凡夫、すなわち人間は仏性を有しつつも隠蔽されていると見るとしても、それは仏教的な、本質として「仏性有り」とする人間観を否定するものではない。むしろ、仏性を顕現しようとする実践の過程において、現実存在としてはそれが容易ではないという自覚に基づくものであり、仏道修行に対する真摯な態度において捉えられてきた人間観であるといえる。
【参考】恵谷隆戒「日本浄土教思想史上における凡夫性自覚過程について」(『仏教文化研究』一三、一九六六)、峰島旭雄「浄土教の人間観」(『仏教論叢』一一、一九六六)、西川知雄『法然浄土教の哲学的解明』(山喜房仏書林、一九七三)、髙橋弘次『改版増補 法然浄土教の諸問題』(同、一九九四)
【執筆者:藤本淨彦】