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一文不知

提供: 新纂浄土宗大辞典

いちもんふち/一文不知

法然の遺訓と読み慣わされている『一枚起請文』の一節。一般的には「一文も知らない無学である」ということを意味する。法然教学においては、『一枚起請文』に「念仏を信ぜん人は、たとい一代の御法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じくして、智者の振る舞いをせずして、ただ一向念仏すべし」(聖典四・二九九/昭法全四一六)とあって、釈尊一生涯に説き明かされた教えをすべて学んだとしても、それら経典の一文も知らない愚かなる身と自覚すべきことを促し、智者の振る舞いをしないで「ただ一向念仏すべし」としている。つまり一文不知とは、経典の一文も知らないというように理解すべきであり、その本質は、三心のうち深心に通じ、特に「機の深信」、すなわち、自分自身が罪悪を積み重ねた輪廻を繰り返す三界流転凡夫であって、経典を読んでいてもそれを理解しようともせず、あるいはその理解する力も失っていて、今まで解脱の縁が全くなかったと、しっかり自覚すること、と理解すべきである。


【参照項目】➡一枚起請文信機・信法


【執筆者:伊藤真宏】