「曼陀羅供」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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まんだらく/曼陀羅供
当麻曼陀羅(観経曼陀羅)を本尊として行う法要。正しくは「浄土曼陀羅供礼誦儀則」といい、略して「浄土曼陀羅供」ともいう。『当麻曼陀羅懺法』(一七六二)は、内題に「当麻曼供則」とある現行の曼陀羅供の底本である(大正大学蔵)。浄土変相に描かれている五智身阿弥陀仏・観音勢至諸菩薩・虚空乃至宝地依正荘厳・変相三縁(右縁は序分義、左縁は定善義・十三観、下縁は散善義・九品往生)の仏菩薩依正荘厳・耆闍会上釈迦文仏などを敬礼し懺悔して、不退を証得して還来度生を念じる法会である。『曼陀羅堂規定書』(安政六年〔一八五九〕)には、慎徳院(徳川家慶)の菩提のためと変相出現(六月二三日)の二三日に曼陀羅供を修行すべしと規定している(『増上寺史料集』四・三二二)。金井秀道は『当麻曼陀羅懺法』をもとに『浄土曼荼羅大懺法儀軌』として『浄土苾蒭宝庫』に掲載している(二三オ)。『浄土宗法要儀式大観』も同書を掲載している(二・一三八)。昭和一四年(一九三九)には八百谷順応と堀井慶雅が増上寺開山聖聡五〇〇回遠忌に際し、『当麻曼陀羅懺法』をもとに『浄土曼荼羅供礼誦儀則』を編輯した。開導告諭・願生偈を省略し、敬礼の二十一礼を簡略化し、『当麻曼陀羅礼誦法』の表白を引用している。同一六年一〇月には堀井慶雅が『声明並特殊法要集』のなかで『浄土曼荼羅供礼誦儀則』の博士を付した。しかし、この法要は戦争のために厳修することができなかったという。平成元年(一九八九)聖聡五五〇回遠忌にあたり、津田徳翁と石田典定は『浄土曼荼羅供礼誦儀則』に準じた法則として『浄土曼荼羅』を編纂し、当麻曼陀羅を掲げて法要を修した。同五年三月、浄土宗総合研究所が増上寺開山堂(慈雲閣)で同法要を厳修。これとは別本として、『曼陀羅勤行式』(文政九年〔一八二六〕)があり、回願に曼陀羅講中の文のみある日常勤行式である。『当麻曼陀羅供式』は安政五年(一八五八)方空が復興開版した四智讃・惣礼伽陀・四箇法要をして当麻曼陀羅を讃歎供養する法会である。また、『当麻曼陀羅礼誦法』は大順が安政五年に刊行した神呪・奉請・三十七尊礼に特色のある法会である。
【執筆者:西城宗隆】