—寛文九年(一六六九)四月一〇日。栴蓮社檀誉。金戒光明寺三二世。明暦元年(一六五五)一二月、江戸西福寺から黒谷へ転住。同四年六月、和泉国興源寺某が宗祖真筆一枚起請文の偽物を公開したため、京都所司代に訴え没収した。他に宗祖四五〇年遠忌の厳修、宮中における鏡御影や一枚起請文等の叡覧、熊谷堂再興や文殊塔の修復を手がけた。寛文三年(一六六三)六月に下山した後は泉谷西寿寺、さらに帝釈寺へ移り、最後は安芸国で寂した。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)
【執筆者:髙橋寿光】