観経曼陀羅
提供: 新纂浄土宗大辞典
かんぎょうまんだら/観経曼陀羅
『観経』の所説を図絵にしたもの。中国では観経変・観経変相と称し、敦煌莫高窟に現存する。通常は「曼荼羅」の字を用いるが、浄土宗では『選択集』二に「曼陀羅血脈の譜一首」(聖典三・一一一/昭法全三一六)、また『四十八巻伝』三〇に「入唐の時渡し奉れる『観経』の曼陀羅」(聖典六・四七八/法伝全一九七)とあるように「曼陀羅」とする。中国では、はじめは観経曼陀羅を所願や平生の観想の対象とした。図絵には阿弥陀浄土図と観経十六観変相図の二つがあるが、初唐のころから浄土図と十六観図が一体となったものが出現する。十六観図を右や左にまとめたものや、二つに分けた図絵があり、さらに三輩九品を下縁に示すものもある。これらは『観経』の領解によるもので、廬山慧遠は十六観すべてを所観の対象としたが、善導は初めの十三観を定善として観仏三昧を明かし、あとの三輩は念仏三昧として一経二宗の教旨を説くとした。『瑞応刪伝』によると、善導は青年期に変相を拝し、信を篤く持ち、のちに往生浄土の念仏教化に努め、西方浄土変相を三〇〇幅つくったという。そして『観念法門』に「若し人有て観経等に依て浄土荘厳の変を画造して、日夜に宝地を観想すれば、現生に念念に八十億劫生死の罪を除滅す」(浄全四・二二八上/正蔵四七・二五上)と記し、曼陀羅の作成を説いている。
唐時代の観経曼陀羅の影響は日本にも伝わり、天平時代の作とされる当麻曼陀羅が現れる。大和の當麻寺にある「綴織当麻曼陀羅」は、西方阿弥陀浄土を中心に右左下の縁に『観経』の所説を綴り込んでいる。天平後期に當麻寺で作られた(国宝。約四メートル四方)。縁起によると、天平宝字七年(七六三)に中将の局の発願により蓮糸で綴った曼陀羅とされる。右の縁(向かって左)には序分義十一段、左の縁に定善義十三観、下縁に散善義三輩九品の九つを示す。右の序分義には、上部に化前縁と顕示説会を織る霊鷲山の説法の場を示す。次は最下に移り、(一)禁父縁の四段を示す。提婆達多が神通を現じて阿闍世に悪を勧める。阿闍世は七重の室に父王を幽閉する。韋提希が王に食を勧める。王は戒をうけ法を聞く。次に(二)禁母縁の二段を示す。阿闍世新王が来て父王の生存を問う。二大臣らが母を害することを諫める。次に(三)厭苦縁の二段を示す。目連、阿難の二尊者が韋提希の室に来る。韋提希は釈尊を拝し苦衷をのべる。次に(四)欣浄縁の二段を示す。釈尊が光雲台上に十方の浄土を出現させ選ばせる。韋提希の求めにより阿弥陀浄土を顕し説法する。再び最上部の霊鷲山の図絵に戻り、再説の場となる。左の定善義十三観は『観経』の所説により、上から順に一三の区画は、日想観、水想観、宝地観、宝樹観、宝池観、宝楼観、華座観、像想観、真身観、観音観、勢至観、普観、雑想観を織り現す。下の縁には三輩九品を九画に分けて横並びに図絵し、凡夫の行為と仏の来迎の情景を織り現す。
また、観経十六観変相図とは一六の観想を描くものである。その一つに南宋時代の図絵(京都長香寺本、国重要文化財)がある。左右のそれぞれ四分の一の幅に、縦に上から描く。左縁に水想観より華座観の六観、右縁に像想観より雑想観の六観を示す。中央の最上部に日想観を図示する。丸い大きな太陽の左に殿舎があり、中に仏・菩薩の像がある。右には二光明を放ち蓮台に坐す仏と菩薩らの像を描く。赤い日輪の下に三つの殿舎がある。中央下より十四観上品生、十五観中品生、十六観下品生で、棟の上に標識がある。宝池の中に建つ殿舎の中には仏が蓮台に坐し、池中より仏に向かって、十四観は菩薩衆が、十五観は声聞衆が、十六観は人民衆が、それぞれ三人ずつ蓮華に坐し合掌礼拝する。特に十六観の殿舎には大きく彩色した幡があり、屋根の上に光雲に乗った仏・菩薩の来迎の相がある。また、別の観経十六観変相図は高麗時代のもの(知恩院本)で、上部に、日想観を中心に、水想観、宝樹観、地想観があり、中央に宝池観、宝楼観、像想観があり、左右に華座観を図絵する。下部には、真身観を中心に右に勢至観、左に観音観と並び、下方に普観、雑想観を図絵する。最下方には菩薩、声聞が多く蓮台に坐し、中央は上三品、左は中三品、右は下三品の往生人である。これら二つの観経十六観変相図は、中国、朝鮮半島を通り日本に招来された。念仏信仰の広まりは、当麻曼陀羅、智光曼陀羅、清海曼陀羅の浄土三曼陀羅を普及させることとなる。このうち、当麻曼陀羅は『観経』の所説を詳説し、華麗細密な描写で人々に親しまれ、数多く制作された。清海曼陀羅は周囲に蓮華座を描き、『観経』の十六観の偈が四行二〇字で書いてある(「第一日想観、黄昏向西方、観日如懸鼓、想像極楽光」等)。上下に各三観、左右に各五観を描く。紺紙金銀泥で簡素に図絵されたものが現存している。
【参考】京都国立博物館編『浄土教絵画』(平凡社、一九七五)、塩竈義弘『曼陀羅を説く』(山喜房仏書林、二〇〇三)
【執筆者:塩竈義弘】