仏画
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぶつが/仏画
仏画とは仏教絵画全般のこと。仏・菩薩を描いた絵画(単身像または群像)や曼荼羅(両界曼荼羅、別尊曼荼羅など)など主に礼拝・儀礼現場で使用される絵画、仏伝や本生譚などを基軸にした説話系絵画、当麻曼陀羅をはじめとする浄土変相図、来迎図、二河白道図、六道絵など教理・教説・経典内容の絵画化を試みた絵画、祖師の行状や寺院の草創の様子を描く高僧絵巻や縁起絵巻、祖師・高僧像としての肖像画など、主題によって様々に分類することができる。インドのアジャンター石窟をはじめ、西域のバーミヤン・キジル・ベゼクリク等の仏教寺院遺跡の壁画があり、様々な様式の影響がうかがわれる。中国では『歴代名画記』によると、唐代までは壁画が多数制作されていた様子が記されており、敦煌莫高窟の作品群がその代表例である。日本における仏画もそれぞれ時代ごとの特徴が見出せる。飛鳥時代は、法隆寺・玉虫厨子や中宮寺・天寿国繡帳(共に国宝)のような工芸遺品の意匠から当時の様式・特徴がうかがわれ、中国六朝様式の影響が濃いものであったと推定される。奈良時代に入っても現存する絵画遺品はあまり多くないが、中国・唐の影響が強い。代表的な作品は薬師寺・吉祥天像(国宝)や法隆寺金堂壁画(国重要文化財)である。これらの様式の源流はインドや西域の絵画にあると見なされている。平安時代初期(九世紀)には空海・最澄らの入唐によって、体系的な密教が伝えられ、多数の密教図像が日本にもたらされた。これらはその後の日本の仏教絵画に強い影響を与えることになる。両界曼荼羅はその後の時代にも引き続き多く制作され、密教の修法に用いるための各種の曼荼羅や仏画も多数制作された。平安時代後期になると、源信の『往生要集』などの影響から、阿弥陀仏の住する西方極楽浄土への往生を願う浄土信仰が広まり、末法思想が広まった背景が相まって、浄土図や阿弥陀仏の来迎図などが盛んに制作された。また、貴族を中心に『法華経』への信仰が高まり、法華経信者を護持するとされる普賢菩薩の像が盛んに制作された。このころの日本は中国の強い影響を次第に脱して和風化が進んだ時代であり、仏画にもその傾向が見られる。東京国立博物館・普賢菩薩像(国宝)をはじめ、金銀の箔や切金を多用した耽美的な作品が数多く作られた。『法華経』をはじめとする経典の中には華麗な彩色や金銀箔で料紙を装飾し、紐や軸にまで贅をこらした、いわゆる装飾経の遺品がある。これらの経典の見返し絵もこの時代の仏教絵画として注目される。また『源氏物語絵巻』や『伴大納言絵詞』を皮切りに多く作られるようになった絵巻物の中にも、寺社縁起や高僧の行状・伝記を題材とした作品が鎌倉時代にかけて盛んに制作される。鎌倉時代には六道輪廻思想を背景とした六道絵、亡者を裁く冥界の王たちを描いた十王像、本地垂迹説に基づく垂迹画など、新しい絵画ジャンルが登場し、仏画の内容は多彩になった。禅宗では師からの嗣法を重視することから祖師像を仏・菩薩像と同様に尊重し、大徳寺・大灯国師像(国重要文化財)など多数の頂相が制作された。鎌倉時代の仏画は、一般に墨線を強調する傾向があり、中国・宋の影響が強い。室町時代にかけても水墨による羅漢図や観音図などが盛んに制作された。近世にも仏画は多数制作されるが、障壁画や障屛画、文人画、琳派、円山四条派、浮世絵などの作品が中心となり、次第に仏画は絵画史の主流ではなくなった。しかし、復古大和絵派の岡田(冷泉)為恭のように優れた仏画を残した作家もいる。
【参考】有賀祥隆『仏画の鑑賞基礎知識』(至文堂、一九九一)、中野照男『仏画の見かた』(吉川弘文館、二〇〇一)、柳澤孝『仏教絵画史論集』(中央公論美術出版、二〇〇六)
【執筆者:多川文彦】