操作

引声阿弥陀経

提供: 新纂浄土宗大辞典

いんぜいあみだきょう/引声阿弥陀経

阿弥陀経』に旋律を付けて漢音で称える声明。天台の慈覚じかく大師円仁えんにんが、中国に渡り五台山から伝えたという法会。この「引声阿弥陀経」を中心とした法会は「例時作法」、「引声作法」ともいう。『阿弥陀経』の旋律には、切声きりごえ例時、声明しょうみょう例時(例時作法)、短声たんぜい阿弥陀経(現在実唱されていない)と引声阿弥陀経(引声作法)がある。経文等の一字一字に数種類の旋律を組み合わせた大曲で、その曲調は極楽にある八功徳池の浪の音になぞらえたとされる(『真如堂縁起』仏全一一七、寺誌叢書一・三二二下)。『前唐院資財実録』掲載の象牙の笛一管は、円仁が五台山竹林寺極楽の水鳥樹林を称えている七五三等の妙曲を吹き伝えた笛であり、この曲は五台山法道極楽に往き念仏の声を感得して伝えたものとされる(『天台霞標』二編二・仏全一二五・一六八下)。『故事談』三には、円仁は尺八で引声の『阿弥陀経』を吹き伝えたとされ、常行堂の松の扉で吹いているときに、空中より「」の字を加えよというこえがあり、これより如是じょしに〈や〉の音が加わったという(『新訂増補国史大系』一八・五六)。『帝王編年記』一四には、「帰朝の時、船上において三尊顕現し、成就如是也せいしうじょしやの節を伝えしめ給う」(『新訂増補国史大系』一二・二二一)とあり、今日でも如是也じょしやと称えている。この法会魚山ぎょざん大原流と鳥取大山だいせん寺の大山流が伝承されたが、近年大山流は廃絶したという。京都真如堂真正しんしょう極楽寺)の引声は鈴山れいせん流と呼ばれていたが、大正年間に天台宗多紀道忍たきどうにん(一八九〇—一九四九)が大山流引声によって復興したものが現在に伝承されている。兵庫県加西市高野山真言宗酒見寺さがみじには、引声作法が寛弘八年(一〇一一)より伝承され、嘉永五年(一八五二)覚秀署名の「引声作法」とその「許可状」が現存している。この引声会は、同寺の引声堂拍子物ひょうしものの旋律が伝承されている。知恩院では大原流の十夜会古式(天台の十夜会別式)を「十夜会古式」として伝承している。また、真如堂を経て関東に伝承した引声は、鎌倉光明寺増上寺に「引声阿弥陀経」として伝承されている。

法然例時作法を修したことは、『四十八巻伝』一〇の浄土三部経如法経次第の項に記されている(聖典六・一一五)。また『四十八巻伝』三四の勝尾寺の項には、「恒例の引声の念仏ありけるに、僧衆の法服破壊はえして見苦しかりければ、弟子法蓮房をもって、京都の檀那に仰せられて、装束十五具調じて施入せらる。寺僧喜びて、臨時の七日の念仏勤行しけり」(聖典六・五七一)とあり、勝尾寺での法要を記している。

聖聡小石川談所より『板刊阿弥陀経』(応永一五年〔一四〇八〕、増上寺金沢文庫所蔵)を刊行し、「四奉請・(甲念仏)・阿弥陀経合殺かっさつ・(甲念仏)・回向後唄ごばい・九声念仏」のすべてに譜を付している。『声明集』(増上寺前松村十兵衛開板、天和三年〔一六八三〕、上野学園大学日本音楽史研究所蔵)には、「例時之伽陀四奉請(例時)・(甲念仏)・仏説阿弥陀経(経題のみ)・(後唄・律)」の譜を掲載している。観誉祐崇は、明応四年(一四九五)に宮中で『阿弥陀経』を講説し、十夜法要を厳修した。これによって、光明寺での十夜法要の勅許を得て、浄土宗の通規となったという(『鎮流祖伝』四、浄全一七・四五七)。この法会は一時中断したが、義誉観徹は三人の弟子(義春・涼澄・順徹)を京都に遣わして「引声阿弥陀経」を伝習させて、『刻引声阿弥陀経』(享保一〇年〔一七二五〕)を刊行し、翌年光明寺晋董して十夜の復興を計った。「引声阿弥陀経」には長短二声が伝承されており、祐崇伝承の引声が長短いずれかであるかは不明であるが、観徹以後は声明例時の『阿弥陀経』の博士を基にして現在に至っている(大元良成『引声阿弥陀経法要の解説』)。大正五年(一九一六)には、千葉満定編集・吉水諦立校閲によって浄土宗務所認定の『漢音引声阿弥陀経 譜付』を発行した。「四奉請甲念仏前伽陀)・仏説阿弥陀経ふつせつあびたけい甲念仏後伽陀)・回向呉音)・後唄(律)・引声念仏・(太鼓雲版双盤半鐘鈴の作相並に六字詰念仏の譜・双盤作相)」と記載されている。現在、増上寺光明寺はこの版本によって実唱している。

昭和三四年(一九五九)、青年法式学会は「解説を主体とした経本」として、『引声阿弥陀経』(内題『引声阿弥陀経の解説』)を発行して実唱の手引書とした。現在、鎌倉光明寺では一〇月の「十夜法要会」、増上寺では四月の御忌大会に「引声阿弥陀経法要」、知恩院では「兼実忌かねざねき法要」に「十夜会古式」を厳修している。平成二〇年(二〇〇八)の祐崇五〇〇回忌に際し、増上寺式師会は吉水大信の実唱を採譜し、双調を宮音として五音を付した『引声阿弥陀経 全』を刊行した。「山寺行なふ聖こそ、あはれに尊きものあれ、行道引声阿弥陀経懺法釈迦牟尼あかつきせんぼうせいきやうぼうぢ(ふ)」『梁塵秘抄』二・一九〇(『日本古典文学大系』七三・三七八)。


【資料】『引声阿弥陀経』(享保一〇年、東京都文京区願行寺蔵)、『漢音引声 仏説阿弥陀経』(天照山版、慶応三年)、『大本山光明寺 十夜法要式』(大本山光明寺、一九八二)、『引声阿弥陀経 全』(大本山増上寺式師会、二〇〇八)


【録音資料】吉水大信監修『引声阿弥陀経』(CBSソニー、一九七二)


【参考】「引声阿弥陀経」(『青年法式学会会報』創刊号、一九五九)、「声明[一]」(『日本音楽叢書』三、音楽之友社、一九九〇)、山本康彦『お十夜のみちを訪ねて』(西光寺、二〇〇三)


【参照項目】➡例時作法十夜会


【執筆者:山本康彦】



引声阿弥陀経の諸本。①『阿弥陀経』に声明博士が附されている経典。『板刊阿弥陀経』は聖聡持経の折本。すり経に手書きで博士を附している。奥書には「武州豊嶋小石川談所 応永一五年戊子(一四〇八)一一月一五日 幹縁比丘酉誉 筆者松雨其阿」とある(増上寺蔵・記一〇・三)。「四奉請・(甲念仏)・阿弥陀経合殺かっさつ・(甲念仏)・回向後唄ごばい・九声念仏」。金沢文庫には国重要文化財の『阿弥陀経』(巻子装・断簡)があるが、増上寺本博士とは差異が見られる。②『刻引声阿弥陀経』享保一〇年(一七二五)刊、折本。「四奉請甲念仏・仏説阿弥陀経甲念仏回向後唄」。「刻引声阿弥陀経跋」には、常福寺観徹が三人の弟子(義春・涼澄・順徹)を京都に遣わして伝習させて作成したとある。翌年一月一八日観徹はこの『引声阿弥陀経』を増上寺に贈呈し、四月二五日、鎌倉光明寺に住した観徹は内々に伴頭へ向後声明講の節に引声阿弥陀経の儀を執行するよう申し渡しをした(『増上寺日鑑』五、大正大学出版室、二〇〇七)。③『漢音引声阿弥陀経 譜附』大正五年(一九一六)五月刊。編輯兼発行者千葉満定・校閲者吉水諦立。浄土宗務所認定を受けた。引声法要の携持用の根源書となっている。これに基づいて作られたものは、『御忌法要集』(増上寺、一九八三)、『大本山光明寺 十夜法要』(監修吉水大信、一九六九)、『大本山光明寺 十夜法要式』(一九八二)などがある。④『引声阿弥陀経 全』平成二〇年(二〇〇八)一二月刊、大本山増上寺式師会。山本康彦は祐崇五〇〇回忌のために経本の新規作成と全巻読誦発願したが、急逝したために没後に式師会設立四〇周年記念として刊行・厳修した。この譜面は、『声明並特殊法要集』(大本山増上寺遠忌局、昭和一六年〔一九四一〕一〇月)に復したものである。昭和一六年版の声明譜は堀井慶雅が分解説示して初学伝習の便に資したもので、「引声阿弥陀経」などを掲載し、引声念仏六字詰念仏五念門を付している。大正五年版の博士と形態は相違するが、唱法は同一である。


【執筆者:西城宗隆】