阿弥陀仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
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あみだぶつ/阿弥陀仏
西方極楽浄土を建て、そこに住する他方仏。西方極楽浄土の教主。(弥陀)浄土教の教主。浄土宗をはじめとする浄土教諸宗において本尊とされる仏。阿弥陀如来、無量光仏、無量寿仏ともいう。弥陀、弥陀如来、弥陀善逝と略称される他、極楽化主とも呼ばれる。また『無量寿経』では阿弥陀仏の光明に具わる一二種の特性を、阿弥陀仏の一二種の仏名(十二光仏)として列挙する(聖典一・二三七/浄全一・一三)。さらには浄土真宗の九字名号、十字名号における不可思議光如来、尽十方無礙光如来という呼称もある。前者は親鸞、後者は曇鸞『往生論註』を初出とする。
阿弥陀仏の原語については、Ⓢamṛta(甘露・不死)を想定する説もあるが、実際にサンスクリット本に現れるのは、Ⓢamitābha(もしくはamitaprab-ha)Ⓢamitāyusの二つである。amitaは無量、ābha(prabha)は光明、āyusは寿命の意であるので、それぞれ「無量光仏」「無量寿仏」と訳される。この無量光・無量寿という二つの特性のうちいずれが本来かという問題については相反する両説があるものの、近年は初期〈無量寿経〉で阿弥陀仏の涅槃が説かれている点、原語の推定などからして無量光仏を本来とする説の方が有力といえよう。
一方、これら二つの名前を音写して訳されたのが「阿弥陀仏」である。この音写語は、原語の最後のシラブルが略されたか、最後の母音が落ちて発音されたものを音写したかのいずれかになるが、具体的な推定としては、amitābhaのガンダーラ語形amidāhaで表現されていた仏が、母音間のhが脱落してamidāaなどとなり、それが音写されたという説、もしくはそれと類似の説が提示されている。これらの説ではamidāhaの単数主格amidāu、もしくはamitābhaの西北インド方言amidāyu等がサンスクリット語化してamitāyusになったと推測する。
阿弥陀仏の呼称としては、初期〈無量寿経〉では「阿弥陀仏」のみ、『無量寿経』では「無量寿仏」のみが使用され、『阿弥陀経』では「阿弥陀仏」、『観経』では「阿弥陀仏」「無量寿仏」、サンスクリット本〈無量寿経〉ではamitābha、サンスクリット本〈阿弥陀経〉ではamitāyusが主として用いられている。
阿弥陀仏が無量光・無量寿の仏となろうとしたことは『無量寿経』の四十八願の第一二願と第一三願に誓われているが、そのように誓われた理由について、法然『三部経釈』(聖典四・二八七~八、昭法全三〇~二)、道光『無量寿経鈔』(浄全一四・八三~四)では、空間的に全ての人々を救いとろうとして摂取の光明がどこにいる人にも届くように無量光仏に、また時間的に永遠に人々を救い続けようとして無量寿仏になったと説く。
阿弥陀仏の起源に関しては、特に光明の面に注目したイラン等の西方起源説と、インド内部起源説とが提示されている。インド起源説の中には、ヴィシュヌ神などの仏教外部に求める場合と、釈尊の仏身観等と関係させるなどして、仏教内部に求める場合とがある。
また、阿弥陀仏が成仏に至るまでの経緯については、〈無量寿経〉以外に一五種の経典に言及があり、しかも内容が相互に大きく異なることが報告されているが、その中で〈無量寿経〉類のそれが最古の一つと考えられる。浄土宗が依って立つ『無量寿経』(および『阿弥陀経』)に基づくと以下の通りとなる。錠光如来から順次、五二仏が出た後、世自在王仏の時に、ある国の王がその説法を聞き、王位を棄てて出家し、法蔵と名乗る。これが阿弥陀仏の出家名で、従って修行時代は法蔵比丘・法蔵菩薩と呼ばれることとなる。その法蔵が自身の仏国土(浄土)を建立したい旨を世自在王仏に告げ、諸仏の浄土を示してほしいと述べると、世自在王仏は二百一十億の浄土の有り様を説き示し、かつ現し出した。そこで法蔵はそれを参考に五劫の間、自身の仏土を荘厳する清浄なる行(道光『無量寿経鈔』は「仏土の有り様に関する清浄なる発願」と解釈)について思惟して(五劫思惟)、四十八願を建てて自身の理想の国土を作ることをその中で誓う。そして長い長い間(兆載永劫)、種々の修行を積み、多くの勝れた特性を具えて、ついに阿弥陀仏となり、西方の十万億土を過ぎたところに「安楽(極楽)」という浄土を建立して、今もそこで説法をしている(今現在説法)。また阿弥陀仏となって今に至るまで十劫という長い時間が経っており(十劫正覚)、その寿命は計り知れないほど長久とされる。ただし初期〈無量寿経〉や『観音授記経』には阿弥陀仏もいずれ涅槃に入るとされ、『無量寿経』の記述との間にニュアンスの違いが見られる。
さて、その阿弥陀仏の姿は『無量寿経』『阿弥陀経』ではほとんど述べられず、『観経』の真身観の一段で詳説される。夜摩天の閻浮檀金の色よりはるかに優れ、身高は六十万億那由他恒河沙由旬、眉間の白毫の渦は須弥山の五倍、眼は四大海の広さに匹敵し、体中の毛孔からは須弥山ほどの光明が発せられ、背後には無数の化仏・化菩薩を従えている。また八万四千もの相(仏に具わる特色)があり、一々の相には八万四千の好(二次的特色)が、さらには一々の好から八万四千の光明が発せられ、その光明は十方世界を遍く照らし出し、念仏する人を必ず救い取るという。なお、経には明記されないものの、この摂取の光明は普通、神通光ではなく常光であるとされる。その脇侍に関しては複数説あるが、「浄土三部経」に基づくと観音・勢至の二菩薩となる。
また、阿弥陀仏の仏身は、少なくとも「浄土三部経」に基づく限り、酬因感果の色身であることを基本としていることが知られるので、法身・報身・化身(応身)の三身のうち、主としては報身であるといえる。法然も阿弥陀仏の内証の功徳として三身をあげ(『選択集』三)、ゆえに三身のすべてが具わっているとはするものの、信仰対象としては報身に限っていると見なしうる。
この仏身論も含め、阿弥陀仏をどう理解するかは宗派によって異なり、真言宗では法身の大日如来と同体異名の仏、天台宗では観法の対象、禅宗では己心の弥陀、すなわち阿弥陀仏も自身の心が作り出したものなどと位置づける。これに対し浄土宗では、四十八願(本願)を建てて修行を積み、その本願を成就して悟りを得た酬因感果の報身の仏で、今も極楽にあって、衆生(特に凡夫)を救おうと常に光明を発しており、臨終には自ら来迎・引摂する、そのような仏と理解する。まさに「三身礼」に説くごとく、本願成就・光明摂取・来迎引摂の仏ということになる。
【参考】矢吹慶輝『阿弥陀仏の研究(増補改版)』(明治書院、一九三七)、藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)、梶山雄一「阿弥陀仏論争」(『インド古典研究』六、一九八四)、香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)、阪本(後藤)純子「Sukhāvatīvyūhaの韻律と言語:歎仏偈・重誓偈」(印仏研究四二—二、一九九四)、辛嶋静志「『大阿弥陀経』訳注(一)」(『佛教大学総合研究所紀要』六、一九九九)
【参照項目】➡浄土教一、阿弥陀仏像、阿弥陀三尊、光明、仏身論
【執筆者:安達俊英】