「敬礼」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2019年3月11日 (月) 04:33時点における最新版
きょうらい/敬礼
一
敬って礼拝すること。またその礼拝をいう。ⓈnamasやⓈvandanaなどの訳。『俱舎論』一には「稽首して接足するが故に敬礼と称す」(正蔵二九・一上)とある。『大乗法苑義林章』は、「古に南牟とは即ち是敬礼なり」(正蔵四五・三一六中)といい、「具に三宝に帰すは、方に是帰依なり。但し、一尊を敬うは即ち是敬礼なり」(正蔵四五・三一六下)として、帰依と敬礼とを区分している。「敬礼偈」は釈尊の法会に用いている。『漢書』丙吉伝賛、『後漢書』耿弇伝にその漢語の用例が見られる。
【執筆者:西城宗隆】
二
祖山声明の伽陀の一つ。「敬礼天人大覚尊 恒沙福智皆円満 因円果満成正覚 住寿凝然無去来」。「敬礼偈」の声明で、敬礼伽陀、敬礼天人ともいう。合曲・盤渉調・出音商。第二・三句を省略することが多い。金戒光明寺の御忌では、「前伽陀」として唱えている。金戒光明寺では転調せず譜面の通りに唱えているが、知恩院では「光明伽陀」と同様に「去」から転調している。それは唱導師が入堂して登高座するまで唱えるので、何回か繰り返しをする必要がある場合のためである。『天台声明大成』には、伽陀の「釈迦」として掲載されている(金声堂、一九六七)。
【参照項目】➡敬礼偈
【執筆者:西城宗隆】
三
増上寺御忌大会で唱える伽陀の一つ。「敬礼天人大覚尊 恒沙福智皆円満」(『声明並特殊法要集』増上寺遠忌局、一九四一)。平調・出音羽。御忌の献供のときに伽陀として唱えることがある。「敬」の唱え方に特色がある。『法要集』(明治四三年版)には「因円果満成正覚 住寿凝然無去来」まで掲載されている。現行は上二句のみを唱えている。元旦の「附講式」では敬礼と天下(和順)を唱えていた(『増上寺月番日鑑』五、一・五三・九一)。「舎利講式」では敬礼伽陀として唱えた(『浄土宗法要儀式大観』二、一三〇、名著普及会、一九八七。『浄土会講式』刊行年未詳)。また「地蔵講式」では伽陀敬礼として「如来観知地蔵尊 威神功徳説難尽 見聞膽礼一念間 利益人天無量事」を唱えた(『浄土宗法要儀式大観』二、一一九)。
【参考】『縁山声明集』(縁山声明編集委員会、一九八九)
【参照項目】➡敬礼偈
【執筆者:西城宗隆】