一念
提供: 新纂浄土宗大辞典
いちねん/一念
思念の回数としての用例と時間の表現としての用例がある。思念の回数としての用例は、『無量寿経』下に「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜して、乃至一念、至心に回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得て、不退転に住す」(聖典一・二四九/浄全一・一九)とあり、また下輩を説くなかに「もし深法を聞きて、歓喜信楽して、疑惑を生ぜず、乃至一念、かの仏を念じて、至誠心をもって、その国に生ぜんと願ずれば、この人臨終に、夢のごとくにかの仏を見たてまつりて、また往生を得」(聖典一・二五〇/浄全一・二〇)と用いられている。法然はこの「念」を「声」ととらえ、一念は一回念仏を称えることと解した。また、時間の表現としては、一回の意念を発起するごく短い時間を表す。『観経』上品中生に「一念の頃のごときに、すなわちかの国の七宝池の中に生ず」(聖典一・三〇七/浄全一・四七)とあり、曇鸞『往生論註』上には「百一の生滅を一刹那と名づけ、六十刹那を名づけて一念となす」(浄全一・二三六下)と定義されている。
【執筆者:渋谷康悦】