十三仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅうさんぶつ/十三仏
初七日から三三回忌に至る各忌日に際しての本尊とされる一三の仏・菩薩・明王の総称。具体的には、初七日不動明王・二七日釈迦如来・三七日文殊菩薩・四七日普賢菩薩・五七日地蔵菩薩・六七日弥勒菩薩・七七日薬師如来・百箇日観音菩薩・一周忌勢至菩薩・三回忌阿弥陀如来・七回忌阿閦如来・一三回忌大日如来・三三回忌虚空蔵菩薩である。葬式・年忌法要・彼岸・盆などに、十三仏の掛け軸をかけ、念仏講などによって十三仏の称名を行い死者の供養をする風習が各地にあり、この際には鉦や太鼓などが使用され拍子をつけて行うところもある。このような風習がいつ頃から行われるようになったかは不明であるが、室町時代には逆修供養のため十三仏の供養塔が各地に建立されるようになった。十三仏への信仰は、日本において追善の忌日の思想が一般化される過程において、中国の十王思想が影響を与えて成立したと考えられる。平安初期から中期頃には初七日から三回忌に至る十仏事が行われるようになったが、平安末から鎌倉初期に偽作された『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』(通称『地蔵十王経』)によって、忌日と地獄の諸王である十王との関係、そして十王の本地仏である十仏が示された。その後、一三世紀中頃には七回忌、一三回忌、一四世紀初めには三三回忌が加わり十三仏事が成立した。これに伴い、七回忌、一三回忌、三三回忌の本尊である仏が当てられ、十三仏が成立した。
【参考】植島基行「十三仏について」上・下(『金沢文庫研究』二三四・二三五、神奈川県立金沢文庫、一九七五)、川勝政太郎「十三仏信仰の史的展開」(『史迹と美術』五二〇、史迹美術同攷会、一九八一)
【参照項目】➡十王
【執筆者:名和清隆】