禅浄双修
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぜんじょうそうしゅう/禅浄双修
禅者が念仏を称えたり、浄土の行を修しながら禅を修すること。念仏禅とは、称名念仏を公案として用いる禅のことで、坐禅をしながら称名念仏し、いま念仏している者は誰か、念ぜられている仏とは誰かと究明するもので、つまり念仏を公案として坐禅参究する。中国では唐代慧日の『浄土慈悲集』に「然れども菩提の道は八万四千、其の中の要妙、功を省き成じ易く、速やかに見仏を得、速やかに生死を出で、速やかに禅定を得、速やかに解脱を得、速やかに神通を得、速やかに聖果を得、…進有りて退無く、万行速やかに円に、速やかに成仏するは唯だ浄土の一門あり」(正蔵八五・一二四一中)とその先蹤が見られる。しかし、禅浄双修を説くようになったのは、宋代延寿の『万善同帰集』二に、慧日の説をあげ、「慈愍三蔵云わく、聖教所説の正禅定は、心を一処に制して念念相続し、昆掉を離れて平等に心を持す。若し睡眠覆障せば即ち須らく策勤して念仏誦経礼拝行道し、経を講じ法を説きて衆生を教化し、万行廃することなく、修するところの行業は回向して西方浄土に往生すべし。若し能く是の如く禅定を修習せば、是れ仏禅定にして聖教と合し、是れ衆生の眼目にして諸仏印可す。一切の仏法は等しくして差別なく、皆一如に乗じて最正覚を成ず」(浄全六・七六六下)といっているのに始まる。この説は慧日の説を延寿の立場で引用したもの。また法照の『五会法事讃』序(浄全六・六七二上)では、念仏三昧をもって真の無上深妙の禅門としている。また『禅関策進』をつくった袾宏は『往生集』一に天如惟則の言を引き「禅と浄土と理は一なりと雖も、而も功並べ施すべからず。今日兼修とは何ん。蓋し兼の義に二あり。足に両船を躡むの兼ならば則ち誠に不可と為すも、円通不礙の兼は何の不可か之あらん。況や禅の外に浄土なく、則ち即土即心にして原と二物に非ざるなり、安んぞ更に之を兼と謂わんや」(正蔵五一・一三六中)といっている。日本でも禅者にして念仏を修する者はいたが、白隠がこれを嫌ったため、中国ほどにさかんではなかった。しかし鈴木正三は禅と念仏を双修し、禅的な念仏を唱導した。
【参考】服部英淳『浄土教思想論』(山喜房仏書林、一九七四)、藤吉慈海『禅浄双修の展開』(春秋社、一九七九)、鈴木鉄心『鈴木正三道人全集』(山喜房仏書林、一九八八)、松野瑞光「慈愍三蔵慧日の浄土教思想」(浄土学四二、二〇〇五)
【参照項目】➡禅宗念仏
【執筆者:金子寛哉】