念仏利益
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ねんぶつりやく/念仏利益
称名念仏によって得られる利益のこと。法然は諸行による利益に対して一念の称名念仏の利益の方が大きいという。すなわち、法然の『選択集』五で、『無量寿経』下の「仏、弥勒に語げたまわく。それ、かの仏の名号を聞くことを得ることあって、歓喜踊躍して、乃至一念せんに、まさに知るべし、この人、大利を得たりとす。すなわちこれ無上の功徳を具足す」(聖典一・二八四/浄全一・三五)の文と、善導『往生礼讃』の「其れ彼の弥陀仏の名号を聞くことを得ること有て、歓喜して一念に至るまで皆当に彼に生ずることを得べし」(浄全四・三六二上)の文を引用して、「然ればすなわち菩提心等の諸行を以て小利と為し、乃至一念を以て大利と為す」(聖典三・一三一/昭法全三二五)としているのがそれである。また、同じく『選択集』一五に、「六方の如来に限らず、弥陀、観音等、また来って護念したまう」(聖典三・一八一/昭法全三四六)と記すなど、称名念仏により、六方の諸仏の他にも阿弥陀仏や観音菩薩も念仏する者を護念するといってその利益を説いている。また、善導の『観念法門』には、「現生及び捨報に決定して大功徳利益有り。仏教に準依して五種の増上利益の因縁を顕明せん」(浄全四・二二七下)といって、滅罪増上縁、護念得長命増上縁、見仏増上縁、摂生増上縁、証生増上縁の五種の増上縁を説き、念仏の利益を示している。しかし法然の『浄土宗略抄』には「されば後生を祈り本願を憑む心も薄き人は、かくのごとく囲繞にも護念にも預かる事なしとこそ善導はのたまいたれ。同じく念仏すとも、深く信を発して穢土を厭い極楽を欣うべき事なり」(聖典四・三六八/昭法全六〇五)といい、あくまでも往生を願うことを第一として念仏するべきであるとしている。
【参考】藤堂恭俊「念仏の利益—現世において受ける変・転の妙味—」(『教化研究』四、一九九三)
【執筆者:郡嶋昭示】