知恩講私記
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ちおんこうしき/知恩講私記
一巻。『知恩講式』とも表記される。隆寛作。法然墓所である大谷廟堂の月忌・年忌に行われた法要である知恩講の式次第を記す。法然の事績を説くことから古い法然伝として評価される。真宗寺院に室町・江戸時代の写本が伝来していたが、長らく注目されなかった。昭和三九年(一九六四)櫛田良洪が東寺宝菩提院を調査中、『秘抄口決』という密教聖教の紙背から安貞二年(一二二八)の写本を見出し、その古さと重要さが認識された。作者名はないが、法然のことを「先師上人」と呼ぶ。同時に発見された『別時念仏講私記』には、貞応三年(一二二四)一〇月に隆寛が著したとの奥書があり、それを元仁二年(一二二五)二月に信阿弥陀仏が書写している。これは、作成からわずか四ヶ月後のことで隆寛とは近い関係であったと思われる。『知恩講私記』も信阿弥陀仏によって書写され、書体や料紙も同じであることから隆寛作と考えられる。大谷廟堂が存在したときの様子を伝える記述があることから、成立時期は嘉禄の法難(嘉禄三年〔一二二七〕)前と考えられる。また建保五年(一二一七)に発見された『般舟讃』を引用するので、建保五年から嘉禄三年までの一〇年間とみられる。内容は、三礼・表白・六種回向からなり、このうち中心となるのは表白で、第一諸宗通達の徳、第二本願興行の徳、第三専修正行の徳、第四決定往生の徳、第五滅後利物の徳の五段で構成される。第一には法然の出自や登山受戒、遁世、諸宗修学の経緯、円頓戒伝受など前半生の経歴、第二には本願念仏をおこした善導・法然の特別の位置、第三には三昧発得や霊異体験、第四には多くの奇瑞が出現した臨終の様子、第五には滅後も慕われて廟堂に多くの参詣者が訪れたことなどが記され、これらが法然の恩徳として讃えられる。伝記で『選択集』を引用するのも本書が最初である。醍醐本『法然上人伝記』や『西方指南抄』の「法然聖人臨終行儀」との関係が指摘され、『伝法絵』『四十八巻伝』など後継伝記にも影響を与える。早期の伝記として重要な位置を占める。
【参考】櫛田良洪「新発見の法然伝記」(『日本歴史』二〇〇、一九六五)、赤松俊秀「新出の『知恩講私記』について」(『続鎌倉仏教の研究』平楽寺書店、一九六六)、伊藤唯眞「『知恩講私記』と古法然伝」(『同著作集Ⅳ浄土宗史の研究』法蔵館、一九九六)、阿川文正「知恩講私記と法然上人伝に関する諸問題」(正大紀要五一、一九六六)、霊山勝海『西方指南抄論』(永田文昌堂、一九九三)
【参照項目】➡信阿弥陀仏
【執筆者:善裕昭】