「阿弥陀三尊」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:18時点における版
あみださんぞん/阿弥陀三尊
阿弥陀仏とその脇侍である観世音菩薩・大勢至菩薩のこと。三部経中には『無量寿経』と『観経』にこの三尊を併せて説く。『無量寿経』下では、観世音・大勢至の二菩薩の光明を最尊と位置づけ、この娑婆世界で命終の後、阿弥陀仏国に転化したとする(聖典一・七九/浄全一・二一)。これらの点は、『無量寿如来会』、『荘厳経』、梵本、チベット訳の後期無量寿経に共通する。『大阿弥陀経』『平等覚経』の初期無量寿経では、阿弥陀仏国の諸菩薩の中で光明智慧が最尊の両菩薩として蓋楼亘菩薩(観世音菩薩)と摩訶那鉢菩薩(大勢至菩薩)を挙げ、常に阿弥陀仏の左右に侍し、阿弥陀仏はこの二菩薩と三世十方の事について論ずるという(浄全一・一二〇上/八二上)。この二経は阿弥陀仏の入滅を説き、観世音菩薩は阿弥陀仏の入滅後にその国土で作仏し、その仏の入滅後にはさらに大勢至菩薩が作仏するとして、阿弥陀仏国における弥陀・観音・勢至間の教授の継承が説かれる(浄全一・一二二上/八四上)。初期無量寿経に類似の説は『観世音菩薩授記経』とその異訳にも見られる。すなわち、安楽世界を如幻三昧を成就する場と位置づけ、そこに阿弥陀仏と観世音・得大勢(大勢至)の二菩薩がいるとする。往生した菩薩は、この二菩薩から如幻三昧を学び獲得するという(正蔵一二・三五三下〜四上)。そして阿弥陀仏入滅の後、観世音菩薩は作仏して普光功徳山王如来と号し、国土名は衆宝普集荘厳となる。さらに普光功徳山王如来入滅の後、得大勢菩薩は作仏して善住功徳宝王如来と号す、として作仏後の仏名を示す(正蔵一二・三五七上~中)。同様の弥陀入滅・観音勢至補処の説は『悲華経』とその異訳にも見られる。無量寿仏の本生を無諍念王とし、彼に千人の王子がいる中、第一王子が観世音、第二王子が得大勢とされる。無量寿仏の入滅後、観世音菩薩は遍出一切光明功徳山王如来、得大勢菩薩は善住珍宝山王如来と次第して作仏するという(正蔵三・一七六中、一八六上~下)。『観経』では、第七華座観に無量寿仏が空中に住立し、観世音・大勢至の二菩薩が左右に侍立したことを説き、第八像想観では、阿弥陀仏の左の蓮華に観世音菩薩、右の蓮華に大勢至菩薩の像があり、その三尊の尊像が極楽全土に満ち満ちていることをいう。さらに第十三雑想観では三尊の像について述べ、観世音と大勢至の違いは首相によって知られるとし、二菩薩は阿弥陀仏を助けて普く教化することをいう。この他、『阿弥陀鼓音声王陀羅尼経』に阿弥陀仏の左右に観世音・大勢至が侍立するという(正蔵一二・三五三上)。また、『不空羂索神変真言経』など密教系の経典には、阿弥陀三尊の形式について説かれるものがある。三尊の位置づけについて、善導は『往生礼讃』に「観音菩薩大慈悲」(浄全四・三七二下)、「勢至菩薩難思議…増長智慧超三界」(同)として、観世音菩薩に慈悲、大勢至菩薩に智慧を配する。また、『四十八巻伝』一三では、藤原宗貞が堂舎を建立し、本尊に阿弥陀仏、脇侍に観音・地蔵を安置し、法然に供養を望んだところ、法然は三尊を見て「この堂は、源空が供養すべき堂にあらず」(聖典六・一四七)として退出したという。願主は法然が勢至菩薩の垂迹であると聞き、地蔵菩薩を勢至菩薩に替えて安置したところ、法然は供養したという。
【参考】香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)
【参照項目】➡阿弥陀三尊像
【執筆者:齊藤舜健】