「唯識」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ゆいしき/唯識
Ⓢvijñaptimātratāの漢訳。「ただ識のみ」が原意であるが、この場合の識とは認識作用を表すⓈvijñānaと同義ではない。唯識は認識に対象の存在を認めない(唯識無境)ので、主(能取)—客(所取)二分の認識の図式はもとより認識作用そのものが無意味となり(境識俱泯)、それでも否定しえない事象を識あるいは了別(ともにⓈvijñapti)として認める。このすべてが識であると透徹するのが唯識観(万法唯識)である。衆生の個々の条件に従って自らの世界一切が出現し、一人一人はまったく独自の体験を得る(人人唯識)が、共業の果報である同一世界内において衆生同士は非存在ではなく、独我論に陥ることはない。衆生の現行する了別は阿頼耶識が執受する自らの業の種子に依拠しており、声聞・縁覚・菩薩の三乗のうち、どの解脱が可能かはその衆生の種姓に限定される(五姓各別)という。唯識説はインドにおいて瑜伽行派(Ⓢyogācāra)によって支持された。瑜伽行派は八識説や三性説などを主張し、五位百法といわれる独自の論理を構築する。瑜伽行派の教説は無着(ⓈAsaṅga)が兜率天に上り弥勒菩薩から伝授されたものとされ、その弟世親(ⓈVasubandhu、『往生論』の天親と同一とされる)とともにその体系を整えたという。中国では地論宗、摂論宗が唯識を研究したが、玄奘が直接インドで戒賢から護法の教学を導入してこれを一新する。弟子の基がその教理を研究する法相宗初祖である。二祖は慧沼、三祖は智周。法相宗には不離識の唯識、三類境説、五重唯識観などの特色がある。日本への伝播は初伝は道昭、第二伝は智通・智達が玄奘から受け、第三伝の智鳳・智鸞・智雄と第四伝の玄昉は智周から授かる。初・第二伝は元興寺に伝えられて南寺伝と呼ばれ、第三・第四伝は興福寺に伝わり北寺伝と呼ばれる。法相宗の徳一が最澄と行った三一権実論争は有名。日本法相宗は現在でも興福寺・薬師寺を二大本山として継承されている。
【参考】竹村牧男『唯識の構造』(春秋社、一九八五)、太田久紀『観心覚夢鈔』(『仏典講座』四二、大蔵出版、一九八一)
【執筆者:小澤憲雄】