種子
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅうじ/種子
Ⓢbījaの訳語。元来、種を意味する語であるが、精液・胚種など様々な意味を持つ。種が源となって、植物が育つことから、種子の語を原因と同義として用いる。また唯識の教理においては、「種子は既にこれ習気の異名なり」(『成唯識論』二、正蔵三一・八中)といわれるように、行為の影響ともいうべき習気と同視される。また「何の法をか名けて種子と為す。謂く本識中に親しく自果を生ずる功能差別なり」(『成唯識論』二、正蔵三一・八上)というように阿頼耶識に蓄積され、いずれ結果を招く原因となるもの、結果を実現するために潜在する能力を指す。種子を有するものである阿頼耶識に一切種子識、種子依の別名もある。法相宗では種子には六つの条件(種子の六義)があることを説く。転識の活動によって阿頼耶識に種子が蓄積されることを熏習、阿頼耶識に蓄積された種子によって結果が生じることを現行という。種子が結果を生じること(種子生現行)と生じた結果によってまた種子が蓄積されること(現行熏種子)は同時におこる。現行する種子、現行した法、新たに生じた種子の同時成立を三法展転因果同時という。種子には先天的な本有種子と後天的な新熏種子があり、五姓各別説は無漏の本有種子の差に基づいて成立する。懐感『群疑論』では、念仏をすることで罪が滅するのは念仏の力により種子の影響力が弱まるからである、と説く(浄全六・九八上)。また、密教では諸尊、諸法などを象徴し、観想するべき悉曇の一文字をいう。浄土宗でも用いるキリク(Ⓢhrīḥ)などはその一例。その場合、「しゅじ」と縮めて読み前述の種子と区別する。阿弥陀仏の種子であるキリクの解釈は例えば不空『理趣釈』下(正蔵一九・六一二中)に出る。『華厳経』では、菩提心が一切諸仏の種子である、という表現も見られる(正蔵九・七七五中)。
【参照項目】➡阿頼耶識、熏習、五姓各別、習気、現行、唯識、キリク
【執筆者:小澤憲雄】