智通
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちつう/智通
正和三年(一三一四)—応永一〇年(一四〇三)。字は光居。浄土宗西山派の僧。石見国池田村の人(一説には尾張の人)。西山六流の六角義の了音の法孫である永覚の流れを継ぐ。文和四年(一三五五)に後光厳天皇より境内地四町歩を賜り、美濃国に立政寺を開創する。永徳二年(一三八二)に後円融天皇の病中に召されて、宮中で金光明最勝懺儀を修し、同年「亀甲山立政寺」の勅額ならびに宸翰六字名号を賜る。明徳二年(一三九一)には西山派紫衣勅許の嚆矢となる常紫衣の綸旨を受ける。応永八年(一四〇一)に光居菩薩の号を宣下され、同一〇年に九〇歳で入寂する。著書に『観経疏口筆鈔』などがある。
【資料】『光居菩薩伝』、『総系譜』(浄全一九)
【執筆者:中西随功】