兜率西方勝劣
提供: 新纂浄土宗大辞典
とそつさいほうしょうれつ/兜率西方勝劣
弥勒菩薩の兜率天と阿弥陀仏の極楽浄土とどちらが勝れ、どちらが劣っているか、またどちらへ往生するのが容易か困難かという議論のこと。この両信仰は関係する経典伝来と共に早くから中国に流布したものと考えられる。弥陀浄土教関係の経典は漢代から始まり、『観無量寿経』(四二四—四四三)が畺良耶舎によって翻訳されている。弥勒関係経典の伝来は沮渠京声訳『弥勒上生経』、伝・竺法護訳『弥勒下生経』、鳩摩羅什訳『弥勒成仏経』のいわゆる弥勒の三部経である。この両信仰が対比されるのは吉蔵の『弥勒経遊意』および『観経義疏』の説が初出ではないかと考えられる。しかし、これは両者の経典の記事を対比して述べただけであって、特に勝劣の論争を記したものではない。また吉蔵自身どちらを中心に信仰したということも記されてはいない。吉蔵とほぼ同時期の隋の彦琮は、初期に『無量寿経』を講じ、最後は弥勒の画像の前で合掌諦観して命終したという。また同時期の釈善胄(隋初~六一七)は生前には弥勒の奇瑞を感じ、末後には弥陀の来迎を得て往生したという。この後、浄土教の立場から、兜率西方の優劣を論じたのは道綽の『安楽集』上である。それには「退と不退の別、寿量長短の別、五欲の起不起の別、音楽の勝劣の別」の四点をあげて比較し、弥陀信仰の優位を述べている。ただし、この時期には『摂大乗論』による念仏別時意説が主張され、それは弥勒信仰の立場に立って弥陀信仰を否定する説であった。そのため迦才は、両者の比較を一九種にわたって述べ、弥勒は空居で優、極楽は地居で劣としながらも、その他の浄穢、難易の一七種についてはみな西方を優とし、兜率を劣としている。迦才が弥陀信仰者であることはいうまでもない。一方、華厳宗智儼(六〇二—六六八)の『華厳孔目章』においては、西方は異界の報土であるから往生することは難であり、兜率は同界であるから煩悩を断じないものでも往生が可能とする。この後、法相唯識系の人師の間に多くこの問題が取り上げられるようになる。なかでも基の『観弥勒上生兜率天経賛』では明らかに弥陀信仰を意識して述べている。これらの説に対して、善導の『観経疏』や『西方要決』、および元暁の著といわれる『遊心安楽道』などには、みな西方極楽浄土の信仰が主張されている。中でも懐感の『群疑論』四(浄全六・五四上~八上)には道綽および迦才の説を踏まえて基の説に一々対応している点が見られる。
【参考】望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九四二)、松本文三郎『弥勒浄土論・極楽浄土論』(平凡社、二〇〇六)、金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)
【執筆者:金子寛哉】