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浄土教文学

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうどきょうぶんがく/浄土教文学

浄土教文学という呼称は一般的には存在しない。ただし日本文学において、仏教文学というジャンルが存在している。ここでは文学的見地から浄土教に関連する著作について略述する。日本浄土教の開祖とも言うべき源信の『往生要集』の第一章は、六道の迷いの世界を数多の経文を引いて具体的に描き出している。この『往生要集』にみられる厭離穢土の思想は、中世の遁世者にも影響を与え、『宝物集』をはじめとする中世の仏教説話集に多大な影響を及ぼした。『方丈記』安元の大火の叙述、『平家物語』六の清盛の最期の場面等にその影響を見ることができる。法語も文学的な妙味が存するものであり、法然の「黒田の聖人へつかわす御文」(「一紙小消息」)、「一枚起請文」などや親鸞語録歎異抄』などはその代表である。法語登山状」を所収する『四十八巻伝』は、その全体を文学的見地から読みうるものである。また、親鸞の『三帖和讃』も逸することができない。時代が下って近代以降の文学はさらに浄土教文学という観点からは括り難くなる。見理文周けんりぶんしゅうは『現代仏教文学入門』(法蔵館、一九八三)の中で、近現代の仏教に関連した文学作品は「仏教的文学」とでも言うしかないと述べている。その上で、次に浄土宗に関係した作家を三人に絞って述べる。①佐藤春夫、詩人・小説家・評論家法然を尊敬し、『掬水譚きくすいものがたり』(一九三六)、『上人遠流おんる』(一九五五)を書き、法然とその時代を長篇『極楽から来た』(一九六一)に著した。②武田泰淳、作家。浄土宗僧侶。短篇「異形いぎょうの者」(一九五一)、長篇『快楽けらく』(一九七二)で、自身の出自や体験をもとに、仏教的視点からこの世の諸々の事象を見たらどうなるかという発想によって壮大な小説を書いた。③寺内大吉、作家。浄土宗僧侶。本名、成田有恒ゆうこう。『はぐれ念仏』(文藝春秋新社、一九五八)所収の表題作以外の作品で、仏教信仰と愛欲の苦悩、名利にとらわれる人間のエゴイズムを描いた。


【参考】『日本現代文学大事典』(明治書院、一九九四)、『増補改訂 新潮日本文学辞典』(新潮社、一九八八)、『仏教文学講座』二「仏教思想と日本文学」(勉誠社、一九九五)、『仏教文学講座』三「法語・詩偈」(同、一九九四)、見理文周『現代仏教文学入門』(法蔵館、一九八三)


【参照項目】➡佐藤春夫武田泰淳成田有恒仏教文学


【執筆者:小嶋知善】